コウタイとは? わかりやすく解説

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康泰Kang Tai

コウタイ
カウタイ

(?~?)
呉中

孫権時代、康泰は中郎の職にあった命令により宣化従事朱応とともに海南諸国訪れた梁書海南諸国伝》。扶南国訪れたとき、ちょうど中天竺国から陳・宋という二人使者扶南来ており、こと細かに天竺習俗聞き知った《同》。こうして通過したところ、噂に聞いたところ、合わせて数十ヶ国となり、そこで伝記作ったのである《同》。

呂岱伝』に、交州平定したのち、従事南方遣して帰服勧告させると、扶南林邑・堂明などの国王貢ぎ物献上してきた、とある。これが康泰・朱応を指すと考えられる

著書に『呉時外国伝』がある《太平御覧》。「扶南伝」というのはその一部であろう水経注疏》。

参照朱応 / 宋 / 孫権 / 陳 / 海南 / 中天竺 / 天竺 / 扶南 / 宣化従事 / 中郎 / 呉時外国伝 / 扶南


高岱Gao Dai

コウタイ
カウタイ

(?~?)
孝廉

字は孔文《討逆伝》。呉郡無錫の人《後漢書文苑伝》。高彪の子後漢書文苑伝》。

高彪名文家として知られていたが《後漢書文苑伝》、高岱もまた生まれつき聡明で、財貨軽んじて義心尊んだ。彼が付き合ったのは無名の中から見いだされ奇才ばかりで、友人八人一代英傑ばかりであった呉郡太守盛憲が彼を上計任じ孝廉推挙した《討逆伝》。

許貢という者がやってきて郡を支配すると、高岱は盛憲連れて許昭の邸宅避難し、(そこから徐州に出かけて)陶謙救援求めた陶謙はなかなか救援しようとはしなかったが、高岱は憔悴しきって血の涙流し飲み物も喉を通らなかった。陶謙は、彼の忠義雄壮さには申包胥義心があると感動し軍勢を送ることを許可するとともに許貢へ(高岱らに危害加えぬようにとの)手紙書いた《討逆伝》。

高岱が帰ってきたとき、彼の母親許貢収監されていた。高岱は人々制止振り切り、殺されるのを覚悟して許貢会い行った彼の才能弁舌優秀さ陳謝する様子慇懃さをみて、許貢すぐさま母親解放してやった。高岱は母親引き連れて役所出た。あらかじめ友人張允・沈〓に船を用意させていたので、これに乗って逃走した許貢後悔して追っ手差し向けたが、すでに高岱が長江渡っていたので追っ手追及諦めた《討逆伝》。

その後会稽余姚隠棲していたところ、孫策が郡丞陸昭を使者として鄭重に出仕請うた。孫策は、彼が『左伝』を得意としていると聞いたので、自分熟読し議論をしようと考えた。ある人が彼に言った。「高岱は将軍がただ武勇秀でているだけで、文学才能持っていないと思っております。もし議論してみて『存じ上げません』と答えるようなら、それは私の言葉通りということです」。その人は高岱にも「孫将軍自分より優れた人物憎まれます。もし『存じ上げません』とお答えすれば、ご好意得られるでしょう」と語っていた《討逆伝》。

高岱はときどき孫策質問に「存じ上げません」と答えたので、孫策軽蔑されたと思い、彼を収監してしまった。友人居合わせた人々地べた座って赦免請うた。そうした人々が数里にわたって充満しているのを矢倉の上から見た孫策は、彼が民衆の心をつかんでいることを憎み、とうとう彼を殺してしまった。ときに高岱、三十歳余りだった《討逆伝》。

参照許貢 / 許昭 / 高彪 / 申包胥 / 沈〓 / 盛憲 / 孫策 / 張允 / 陶謙 / 陸昭 / 会稽郡 / 呉郡 / 徐州 / 長江 / 無錫侯国 / 余姚県 / 郡丞 / 孝廉 / 上計 / 太守 / 左伝



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