交替式とは? わかりやすく解説

こうたい‐しき〔カウタイ‐〕【交代式】

読み方:こうたいしき

有理式において、その中の任意の二つ変数交換すると、式の符号だけが変わった式となるもの。


こうたい‐しき〔カウタイ‐〕【交替式】

読み方:こうたいしき

律令制下官吏交替の際の諸規則など集成し法令集。延暦交替式貞観交替式延喜交替式3種がある。


交替式

読み方:コウタイシキ(koutaishiki)

律令制交替に関する細則集成


交替式

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/01 23:04 UTC 版)

交替式(こうたいしき)は、日本の律令官吏が交替する際の事務引継ぎに関する法規集である。勘解由使により編纂・集成され、官吏交替の手続きは交替式に則して行われた。

沿革

律令制が本格的に施行された8世紀のうちから、官吏、特に国司交替の手続きに関する法令(詔勅・太政官符)を集成した私撰の「交替式」と呼ばれる書物が存在していた。しかし、私撰「交替式」には内容の不備も多数あった。

797年延暦16年)頃に国司交替の際に行政実績を監査する勘解由使が設置された。当時、国司交替に当たって手続きの不備や前任・後任の間の紛争が多発しており、国司交替の手続きを明確化する必要が生じていた。そして803年(延暦22年)、勘解由使の菅野真道により『撰定交替式』(延暦交替式)が編纂され、桓武天皇の裁可を得て、正式な国司交替の例規として扱われた。

824年天長元年)以降、国司(外官)だけでなく内官(在京の官吏)も勘解由使の監査対象となった。867年貞観9年)頃、内外官の交替手続きに関する法令を集成した『新定内外官交替式』(貞観交替式)が勘解由使においてまとめられた。以後、内外官の事務引継ぎは同交替式に依ることとなる。

10世紀前期、律令官制の再構築を図る醍醐天皇が、延喜格式の編纂事業を開始すると、その一環として交替式の再編纂も行われた。編纂作業は911年延喜11年)に始まり、921年(延喜21年)に『内外官交替式』(延喜交替式)として完成した。これが最後の交替式となった。

なお、施行当時より慣例的に「交替」と呼ばれてきているが、律令法における格式のおける考え方からすれば、これは「」にあたるのではないかとする意見もある。

各交替式の概要

撰定交替式(延暦交替式)
成立:803年(延暦22年)、編者:菅野真道ら、1巻41条。
新定内外官交替式(貞観交替式)
施行:868年(貞観10年)、編者:南淵年名らか、上下2巻。
内外官交替式(延喜交替式)
成立:921年(延喜21年)、編者:橘澄清ら、1巻192条。



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「交替式」の関連用語

交替式のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



交替式のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの交替式 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS