クロポトキンの思い出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 23:45 UTC 版)
「ソフィア・ペロフスカヤ」の記事における「クロポトキンの思い出」の解説
クロポトキンはチャイコフスキー団に所属していた頃、ソフィア・ペロフスカヤと接触している。両名とも若く、理想に見える青春時代の1ページを伺わせる、次のような記述がある。 我々は、ペテルブルクの郊外にある、ソフィア・ペロフスカヤが、職人の妻という名義で借りうけた小さな家に集まる事にしていた。彼女は極めて貴族的な家柄に生まれ、その父は一時ペテルブルク軍司令をも勤めた。ところか、彼女は可愛がってくれる母の賛成を得て、高等学校に入る為に家を出て、富裕な工場主の三人娘コルニロヴァと一緒に、後に我々の仲間となった自己教育の小さなサークルを作った。そして、今では職人の妻という触れ込みで、木綿の服に男の長靴をはき、頭にも木綿のハンカチを被るという有り様で、彼女がネヴァ川から二つの水桶を肩にして運んで来る時などは、誰一人それが数年前まで首都における最上級の客間のひとつで光り輝いていた娘と分かる者はなかった。彼女はみんなに可愛がられ、我々もその家に入ると、特に彼女には親しい微笑を送った。ことに我々が郊外の泥んこ道を歩いてきた百姓用の長靴などで汚れを持ち込んだ時、家をなるべく清潔にしておきたい気持ちから彼女に苦情を言われる時などには、ことにそうであった。そんなとき、彼女はその娘らしい、無邪気であるが極めて知的な小さな顔に、できるだけ難しい表情を浮かべる。彼女の道徳観から言えば、彼女は「難し屋」であった。しかし、決してお説教を聞かせるような型ではなかった。彼女は誰かのやり方が気に入らないと、そちらの方に眉の下から厳しい一瞥を与える。それでも、その眼差しの内には、人間の何もかも知っている、雅量のある寛大な彼女の性質が見えている。ペロフスカヤは心の底からの「ナロードニキ」であり、同時に、本当の鋼鉄のような革命家であり、闘士であった。彼女は労働者や農民を愛し、彼らの為に働くのに、あえて彼らを想像上の美点で飾り立てる必要はなかった。ペロフスカヤの有名な肖像は特に素晴らしい。それは彼女のまじめな勇気、輝かしい知性、愛情深い性質を、実に良く写していた。そして、彼女が絞首台に上る数時間前にその母の書いた手紙は、かつて婦人の心が述べた愛情深い魂の最も美しい表現のひとつである。 — 藤本良造訳、クロポトキン著「一革命家の思い出」
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