クリュニー浴場および館の美術館とは? わかりやすく解説

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クリュニー浴場および館の美術館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 05:02 UTC 版)

国立中世美術館」の記事における「クリュニー浴場および館の美術館」の解説

1832年会計検査院主任評定官で中世美術工芸愛好家でもあったアレクサンドル・デュ・ソムラール(フランス語版)(1779-1842) がクリュニー館一部に居を構え収集した作品をここに収蔵した。彼の死後1843年に国がクリュニー館とデュ・ソムラールのコレクション約1,500点を買い取りパリ市も国にガロロマン時代浴場と『船乗り』を含む彫刻宝飾品を国に譲渡した。さらに、サント・シャペル使徒像やステンドグラスを含む多く作品収集し同年、「クリュニー浴場および館の美術館」が設立され、アレクサンドル・デュ・ソムラールの息子エドモン・デュ・ソムラール(フランス語版)が初代館長任命された。クリュニー館建築家アルベール・ルノワール(フランス語版)(1801-1891) により修復され金具、門の錠前塗装などはピエール・フランソワ・マリー・ブーランジェ(フランス語版) (1813-1891) が手がけた。 クリュニー浴場1862年クリュニー館1846年それぞれ歴史的記念物指定された。 エドモン・デュ・ソムラールはその後も『黄金のバラ』、バーゼル大聖堂の『アンテペンディウム』、『貴婦人と一角獣』、『荘園暮らし』および『聖ステファノ伝』のタペストリー、グアラザールの宝物フランス語版)などを収集してコレクション増やし1885年死去したときには11,000点に達していた。後継者のアルフレッド・ダルセル(フランス語版)とエドモン・サリオ(フランス語版)は中世美術工芸品だけでなく、ルネサンス時代装飾芸術品も収集したが、第二次世界大戦勃発する所蔵品はすべて倉庫保管されそのうち中世作品群のみが戦後に再び展示されルネサンス時代のものは、アンドレ・マルロー文化の提唱により、パリから北へ15 kmところにあるエクーアン城(フランス語版)に移動し国立ルネサンス美術館を開設することになった1977年10月25日開館)。 1992年、「クリュニー浴場および館の美術館」は「国立中世美術館クリュニー浴場および館」に改名された。その後改修工事が行われ、現在も一部礼拝堂のある中世の館)改修中で2020年完成する予定である。

※この「クリュニー浴場および館の美術館」の解説は、「国立中世美術館」の解説の一部です。
「クリュニー浴場および館の美術館」を含む「国立中世美術館」の記事については、「国立中世美術館」の概要を参照ください。

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