クリュニー浴場および館の美術館
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「国立中世美術館」の記事における「クリュニー浴場および館の美術館」の解説
1832年、会計検査院の主任評定官で中世美術工芸の愛好家でもあったアレクサンドル・デュ・ソムラール(フランス語版)(1779-1842) がクリュニー館の一部に居を構え、収集した作品をここに収蔵した。彼の死後、1843年に国がクリュニー館とデュ・ソムラールのコレクション約1,500点を買い取り、パリ市も国にガロ=ロマン時代の浴場と『船乗りの柱』を含む彫刻や宝飾品を国に譲渡した。さらに、サント・シャペルの使徒像やステンドグラスを含む多くの作品を収集し、同年、「クリュニー浴場および館の美術館」が設立され、アレクサンドル・デュ・ソムラールの息子エドモン・デュ・ソムラール(フランス語版)が初代館長に任命された。クリュニー館は建築家アルベール・ルノワール(フランス語版)(1801-1891) により修復され、金具、門の錠前、塗装などはピエール・フランソワ・マリー・ブーランジェ(フランス語版) (1813-1891) が手がけた。 クリュニー浴場は1862年、クリュニー館は1846年にそれぞれ歴史的記念物に指定された。 エドモン・デュ・ソムラールはその後も『黄金のバラ』、バーゼル大聖堂の『アンテペンディウム』、『貴婦人と一角獣』、『荘園の暮らし』および『聖ステファノ伝』のタペストリー、グアラザールの宝物(フランス語版)などを収集してコレクションを増やし、1885年に死去したときには約11,000点に達していた。後継者のアルフレッド・ダルセル(フランス語版)とエドモン・サリオ(フランス語版)は中世の美術工芸品だけでなく、ルネサンス時代の装飾芸術品も収集したが、第二次世界大戦が勃発すると所蔵品はすべて倉庫に保管され、そのうち中世の作品群のみが戦後に再び展示され、ルネサンス時代のものは、アンドレ・マルロー文化相の提唱により、パリから北へ約15 kmのところにあるエクーアン城(フランス語版)に移動し、国立ルネサンス美術館を開設することになった(1977年10月25日、開館)。 1992年、「クリュニー浴場および館の美術館」は「国立中世美術館 ― クリュニー浴場および館」に改名された。その後も改修工事が行われ、現在も一部(礼拝堂のある中世の館)改修中で2020年に完成する予定である。
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