クリュニー館
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クリュニー修道会は909年(または910年)にブルゴーニュ(当時のブルグント王国)に建設されたベネティクト派のクリュニー修道院を拠点とする修道会であり、貧民救済と典礼の重視を訴え、修道院改革(クリュニー改革)を推進した。教皇直属の修道会としてパリ、アヴィニョン、ドルへと勢力を拡大し、やがて欧州全土に分院が建設された。パリのクリュニー館は13世紀にクリュニー修道院長の別邸として建てられ、15世紀末にクリュニー修道院長ジャック・ダンボワーズ(フランス語版)により全面的に修復・改装された。現在もクリュニー館の銃眼にジャック・ダンボワーズの紋章が残されている。建築様式は後期ゴシックのフランボワイアン(火焔)様式で、特に礼拝堂のヴォールトにその特徴がよく表れている。中庭にはガーゴイルと滑車の付いた15世紀の井戸がある。 19世紀初頭のクリュニュー館 クリュニュー館の門 中庭から見た建物上部 銃眼に残る修道院長ジャック・ダンボワーズの紋章 ゴシック様式の礼拝堂のヴォールト 中庭の井戸 (15世紀) クリュニー館は修復後、様々な用途に使われ、17世紀にはローマ教皇庁大使館が置かれていた。18世紀に入口正面の塔は天文台に使われ、天文学者のジョゼフ=ニコラ・ドリル (1688-1768) 、ジェローム・ラランド (1732-1807) 、シャルル・メシエ (1730-1817) が天文官として観測を行っていた。
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