クイーンズベリー侯爵家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 14:45 UTC 版)
「クイーンズベリー侯爵」の記事における「クイーンズベリー侯爵家」の解説
1810年に4代公(5代侯)が子供なく死去した際、その保有爵位はそれぞれの継承方法にしたがって分裂した。まずラグラン伯爵位とウィルトシャー州におけるエイムズベリーのダグラス男爵位は廃絶となった。マーチ伯爵位、ピーブルス子爵位、ニードパス=リン=マナードのダグラス卿位は4代公の従兄弟の曽孫にあたる第8代ウィームズ伯爵フランシス・ダグラス(英語版)に継承された。 一方クイーンズベリー公爵位、ダンフリーズシャー侯爵、ドラムランリグ=サンクアー伯爵位、ニス=トーソルウォルド=ロス子爵位、キルモント=ミドルビー=ドーノックのダグラス卿位は、1706年に付け加えられた女系継承を認める特別継承権の規定に基づいて2代公の娘ジェーンの孫にあたる3代バクルー公爵ヘンリー・スコット(1746–1812)に継承された(以降のクイーンズベリー公爵位についてはバクルー公爵参照) そして付け加えが行われなかったクイーンズベリー侯爵位、クイーンズベリー伯爵位、ドラムランリグ子爵位、ホーイック=ティバーズのダグラス卿位は初代伯に遡っての分流である(キルヘッドの)5代準男爵(英語版)サー・チャールズ・ダグラス(6代侯)(英語版)(1777–1837)に継承されることになった(クイーンズベリー侯爵位の継承方法は"his heirs male whatsoever"なので初代より前の男系先祖を遡った継承が可能だった)。 こうしてクイーンズベリー侯爵位を最上位爵位とする侯爵家が誕生することになった。その最初の当主である6代侯は1812年から1832年にかけてスコットランド貴族の貴族代表議員としてイギリス貴族院議員を務め、1833年1月7日には連合王国貴族爵位ダンフリーズ州におけるキンマウントのソルウェイ男爵(Baron Solway, of Kinmount in the County of Dumfries)に叙せられて終身の貴族院議員となった。しかし彼には男子がなかったのでこの爵位は彼一代で終わった。 6代侯の死後、弟のジョン・ダグラス(英語版)(1779–1856)が7代侯を継承した。以降2016年現在まで彼の直系の男系男子によって爵位は継承されている。 8代侯アーチボルド・ダグラス(英語版)(1818–1858)は、襲爵前にピール派に属する庶民院議員を務め、1853年から1856年にかけては王室会計監査官(英語版)を務めた。 9代侯ジョン・ダグラス(1844–1900)は、ボクシング愛好家であり、彼の爵位名を冠する「クイーンズベリー・ルール」の制定を後援し、近代ボクシングを築いた人物として知られる。また彼は1872年から1880年にかけてスコットランド貴族代表議員として貴族院に議席を有した。 その孫である11代侯フランシス・ダグラス(英語版)(1896–1954)も、1922年から1929年までスコットランド貴族代表議員として貴族院議員となった。 2016年現在の当主はその息子である12代侯デイヴィッド・ダグラス(英語版)(1929-)である。
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