クイーンズベリー公爵の従属爵位として
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「クイーンズベリー侯爵」の記事における「クイーンズベリー公爵の従属爵位として」の解説
第2代ダグラス伯爵(英語版)ジェイムズ・ダグラス(英語版)(1358-1388)の私生児ウィリアム・ダグラス(英語版)(-1427)の子孫は、代々スコットランド・ダンフリーズ・ドラムランリグ(英語版)の地主(Laird)(英語版)を務めた。その9代目の当主であるウィリアム・ダグラス(-1640)は、国王ジェームズをドラムランリグに迎えたり、ダンフリーズのシェリフ等の官職を務めるなどして、1628年4月1日にドラムランリグ子爵(Viscount of Drumlanrig)とホーイック=ティバーズのダグラス卿(Lord Douglas of Hawick and Tibbers)、1633年6月13日にクイーンズベリー伯爵(Earl of Queensberry)に叙せられた。いずれもダグラスの紋章と姓名を受け継ぐ男系男子に継承させる旨の継承規定("heirs male bearing the surname and arms of Douglas")が付けられたスコットランド貴族爵位である。 その孫である3代クイーンズベリー伯ウィリアム・ダグラス(1637-1695)は、スコットランド大蔵卿(英語版)、スコットランド議会国王代理官(英語版)等の官職を歴任し、1682年2月11日にクイーンズベリー侯爵(Marquess of Queensberry)、ドラムランリグ=サンクアー伯爵(Earl of Drumlanrig and Sanquhar)、ニス=トーソルウォルド=ロス子爵 (Viscount Nith, Torthorwald and Ross)、キルモント=ミドルビー=ドーノックのダグラス卿(1st Lord Douglas of Kilmount, Middlebie and Dornock)に叙せられた。この4爵位はいずれも"heirs male whatsoever"の継承規定が付いたスコットランド貴族であった。ついで1684年2月3日にはクイーンズベリー公爵(Duke of Queensberry)、ダンフリーズシャー侯爵 (Marquess of Dumfriesshire)に叙せられた。この2つの爵位は"heirs male of his body"の継承規定が付けられたスコットランド貴族であった。 その長男であるジェイムズ・ダグラス(2代公・2代侯)(1672-1711)は、名誉革命後のスコットランド政界で活躍した人物であり、イングランドとスコットランドを連合させる1707年の連合法のスコットランド議会での可決に主導的役割を果たした政治家である。彼は連合後の1708年5月26日にドーヴァー公爵 (Duke of Dover)、ビバリー侯爵(Marquess of Beverley)、リポン男爵(Baron Ripon)に叙せられている(いずれもグレートブリテン貴族)。 2代公の嫡男である次男ジェイムズ・ダグラス(英語版)(1697-1715)は、精神障害者で人肉を食らう殺人者だった。そのため1706年6月17日にクイーンズベリー侯爵位を除く初代公の代に叙された爵位群(1682年と1684年の爵位)は一度王冠に返還し、三男チャールズ・ダグラス(1698-1778)に継承させる旨の特別継承権の規定を付け加えたうえで再び与えられた。またこの際に爵位継承範囲を初代伯に遡っての男子もしくは女子の子孫に拡張させる規定も加えられた。 これにより2代公の死後、クイーンズベリー侯爵位および初代伯の代に叙された1628年と1633年の爵位群(クイーンズベリー伯爵位以下3爵位)は次男ジェイムズ(3代侯)に継承されたが、クイーンズベリー公爵位以下1682年・1684年の爵位群は三男チャールズ(3代公)に継承された。3代公は先立つ1706年6月17日にソルウェイ伯爵(Earl of Solway)、ティバーズ子爵(Viscount Tibbers)、ロッカービー=ダルヴィーン=ソーンヒルのダグラス卿(Lord Douglas of Lockerby, Dalveen and Thornhill)に叙せられていた(いずれも2代公の男系男子に継承権を認める規定の付いたスコットランド貴族爵位)。また1715年には3代侯が子供なく死去したため、クイーンズベリー侯爵位も3代公が継承している。 1778年に3代公(4代侯)が死去した時、生存している男子はなく、2代公の男系男子は絶えた。そのため2代公の代に叙されたドーヴァー公爵位以下3つのグレートブリテン貴族爵位、および3代公が叙されたソルウェイ伯爵以下3つのスコットランド貴族爵位はここで廃絶となった。それ以外の爵位は初代公の次男の孫にあたる3代マーチ伯ウィリアム・ダグラス(4代公・5代侯)(1725-1810)に継承された。彼はこれらの爵位を継承する前の1731年に父からマーチ伯爵(Earl of March)、ピーブルス子爵(Viscount of Peebles)、ニードパス=リン=マナードのダグラス卿(Lord Douglas of Neidpath, Lyne and Munard)、1748年に母からラグラン伯爵(Earl of Ruglen)を継承していた(いずれもスコットランド貴族)。また1786年8月8日にはグレートブリテン貴族爵位ウィルトシャー州におけるエイムズベリーのダグラス男爵(Baron Douglas, of Amesbury in the County of Wiltshire)に叙された。
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