キャラクターデザインの変遷
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「ドラえもん (1979年のテレビアニメ)」の記事における「キャラクターデザインの変遷」の解説
本作の放送は約26年間も続いたので画調も時間と共に少しずつ変わってきた。しかし中にはスタッフたちが意図的にキャラクターデザインを変更したことが何回かある。大きく分けて計3回行われている。 キャラクターデザインは中村英一により行われた。本人も自覚しているがあまり原作の絵と似ていない。本人いわく「アニメ用のキャラデザインをするにあたって大変悩んだ。何とか原作に似せようと努力したがやはり自分の絵になってしまい力不足を痛感した」とのことである が、キャラクターデザインはもとより絵への影響は作画監督者による影響の方が大きい。作画監督者により絵は大きく異なる。だが基本はキャラクターデザイン者および総作画監督を務める中村英一の指導のもとに絵が確立されるため大きく異なるといってもそのキャラクターが誰だか分からなくなるということはまず無いが作画品質が著しく低い物や作画崩壊を起こしている作品が帯番組時代には数本あった。 (1) 1979年4月2日『ゆめの町ノビタランド』〜1981年9月27日『やどり木』 放送開始からの約2年間。月曜 - 土曜で帯番組として放送されていた期間である。このアニメシリーズでは一番作画が一定していない時期で先述のように作画監督者によりキャラクターデザインが大きく異なる。これは帯枠での放送だったため作画の統一は難儀な事であったとプロデューサーの別紙が後日語っており、作画崩壊を起こしている回はVHSには収録されず『タイムマシンBOX』まで収録は見送られていた。 この時期での特徴は、作画監督者による作品の絵に影響するデザインのばらつきが顕著に見られる点である。そのため、第2作1期の中期以降と比べて作画がかなり違う。例えば、本多敏行が作画監督だった場合、スネ夫の眉毛がつながっていたりすることが分かりやすい例である。放送第1話『ゆめの町ノビタランド』が多く再放送されたが、この作品の作画監督者は椛島義夫だったため中村英一が設定した原画とはまた大きく絵が異なっていた。また、一人原画の回も少なくない。 放送を見た藤子から『原作に似てない』、『キャラクターの髪が均等じゃない』などの苦情が来てしまった為、体制が安定してきた放送2年目からはスタート時のキャラクター表が書き直され、当初のAプロ風作画からシンエイ動画独自の画作りに改められた。 (2) 1981年10月2日『ドラえもんだいきらい!?』〜1985年8月16日放送分『山寺のユーレイ騒動』から1985年9月20日にかけて テレビアニメ版に先駆け、本格採用半年前となる1981年3月公開の劇場版ドラえもん のび太の宇宙開拓史より初採用。 作画から動画に及ぶまで既存デザイン設定に忠実に制作されるようになる。それに伴い作画設定、色彩設定にも手が加えられた。またキャラクターデザインの変更と共に脚本設定、家の間取り設定なども多少変更される。 この間、作画監督者はほとんど中村英一に絞られ、作画がほぼ一定となり帯枠時のアバウトな作調も大幅に改善される。 (3) 1985年8月16日放送分『浦島事件のなぞに挑戦』から1985年9月27日『しゅっちょう口目』にかけての作画変更後〜2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』 原作者の藤子を監修に立ち合わせての大掛かりな作画設定変更では最後の作画設定変更。ドラえもんのヒゲが青い部分へはみ出さず白い部分でおさまるようになる。またこの頃からのび太やしずかの身長尺が少々大きくなる。これにはのび太たちの学年がこの頃に小学5年生と確定されたことに起因する。 1988年頃から徐々に作画監督者を増やしていき、1991年からは渡辺歩が作画監督デビューした。2002年の後期頃、デジタルアニメに切り替わってからは第2作第2期に似た作画を行なった。当時の視聴者から見ると渡辺歩の作画はそうとう特徴的にうつり 一部のファンから反感をかってしまった。しかし通常よりキャラクターの目が大きくなり少し可愛らしくなっている。金子志津枝はこれに似た作画を行う。
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