ガイエスブルク要塞攻防戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 01:18 UTC 版)
「銀河英雄伝説の戦役」の記事における「ガイエスブルク要塞攻防戦」の解説
帝国暦488年8月(宇宙暦797年)。敗北の連続及びヴェスターラントの惨劇による民心の離反によって追い詰められた貴族連合軍が、半ば自暴自棄でラインハルトに艦隊決戦を挑んだ。ファーレンハイトはこの案に反対し出撃を拒否したが、メルカッツは帝国に殉じ、また妻子を人質にとられていたことから出撃した。OVA版ではこの時、メルカッツはファーレンハイトに「自分よりまだ若いので生きよ」と別れを告げた。 貴族連合軍の波状攻撃をラインハルトの陣営が要撃する形で一進一退が続き、貴族連合軍の抵抗力が限界に達した時点でラインハルトが総攻撃を命令。キルヒアイスらは高速巡航艦隊を率いて短時間で貴族連合軍に大損害を与えて圧倒し、貴族連合軍を潰走させた。ほぼ同時に、オーベルシュタインが潜入させておいた工作員ハウプトマン大尉の扇動によってガイエスブルク要塞で反乱が発生、主砲室(ガイエスハーケン)を制圧した。この敗戦で貴族連合軍は恐慌を来たし、貴族連合軍陣営では貴族主体の高級士官と平民主体の兵士とに分かれての同士討ちが相次いだ。残存する貴族連合軍の多くは降伏か逃亡した。 ファーレンハイトは要塞内で捕虜となったが、後日の謁見でラインハルトに従う事を誓い、ローエングラム陣営に帰順した。メルカッツは自殺しようとしたが、副官のシュナイダーに制止された。シュナイダーは同盟への亡命を薦め、懐疑的なメルカッツにヤン・ウェンリーを頼る事を提案した。それによってメルカッツは決心し、同盟に亡命した。 対ラインハルト強硬派のフレーゲル男爵は滅びの美学を唱えて戦艦の一騎討ちを画策したが相手にされず、最後は自分を見限った参謀のシューマッハを射殺しようとして、逆に周囲の部下に射殺された。シューマッハと部下は戦艦ウィルヘルミナを駆ってフェザーンに亡命した。 藤崎竜版コミックスでは、先の戦いで一人娘のエリザベートが死亡したこともあり、他メディアよりも急速に貴族連合軍の瓦解が進んだため、その描写は大きく変化した。 最後の攻防戦は行われないまま、メルカッツ提督はシュナイダー少佐の勧めに従って亡命。さら一部の貴族が、ラインハルトへの降伏の手土産にブラウンシュヴァイク公爵の首を差し出そうとして自決するよう恫喝した。ブラウンシュヴァイク公爵は他メディアと同様にアンスバッハにラインハルトの簒奪を阻止するよう命令を下した後、服毒自殺目前で命乞いをするが、「滅びの美学の完成」を唱えたフレーゲル男爵の手によって無理矢理毒入りワインを飲まされ自決させられ、直後にフレーゲル男爵自身も同じ毒入りワインをあおって自決した。
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