カールム・カネシュ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/23 09:39 UTC 版)
キュルテペの地区のうち歴史学者の興味をもっとも強く引くのはカールムである。これは、銅器時代の早期アッシリアの商人のために、品物がカールムの中に留まっているかぎり税を収めずに使用できるように現地の役人によって権利放棄された区画である。カールムという語は当時のリンガ・フランカであったアッカド語で「港」を意味したが、後にその意味が拡張されて、海に面しているかどうかと無関係に商業植民地を指すようになった。 アナトリアの別のいくつかの都市にもカールムがあったが、カネシュのものが最大であり、カールムの中にはアッシリアからの兵士や商人が数百年にわたって住んでいた。彼らは現地の錫や羊毛をアッシリア本土やエラムの贅沢品や食料、香料、織物などと交換していた。 キュルテペ遺跡本体は直径550mの大きな円形のマウンドで、20mほど高くなっている。宮殿や寺院の跡がある。集落は層序学的にいくつかの年代にまたがって作られた。新しい建物が早期のものの遺跡の上に立てられたため、先史時代から早期ヒッタイト時代に至る深い層序が存在する。 カールムはII層およびIb層の2回にわたって火災によって破壊された。居住者はその財産の大部分を置いたまま去り、現代の考古学者によって発見されている。 発見物のうちには大量の焼かれた粘土板があり、そのいくつかは粘土の容器に入れられて円筒印章で封がされている。これらの文書はアッシリア植民地とアッシュールの都市国家の間、アッシリア人商人と現地人の間の貿易といった日常の活動が記録されている。貿易は国家よりも家族単位で行われた。キュルテペ文書はアナトリア最古の文書である。古アッシリア語で書かれているものの、文書の中のヒッタイト語の借用語や固有名詞は、インド・ヨーロッパ語族最古の記録になっている。考古学的資料の大部分はアッシリアではなくアナトリアに典型的なものであるが、楔形文字が使用されていることと、その方言によってアッシリア人の存在が示唆される。
※この「カールム・カネシュ」の解説は、「キュルテペ」の解説の一部です。
「カールム・カネシュ」を含む「キュルテペ」の記事については、「キュルテペ」の概要を参照ください。
- カールム・カネシュのページへのリンク