カロタイプの発明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 00:14 UTC 版)
「ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット」の記事における「カロタイプの発明」の解説
フランスのルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが1839年に太陽光で撮った銀板写真(ダゲレオタイプ)を発表するより早く、タルボットは写真の実験にとりかかっている。彼が写真技術に手をつけたきっかけは1833年にイタリアへ新婚旅行に行った際のことだった。彼は描画補助器具カメラ・ルシダやカメラ・オブスクラを使って旅先の風景をスケッチしたがうまく風景を描き残せず、この方法に失望してしまった。しかしカメラ・オブスクラの中に写る縮小された自然の風景に心を惹かれ、この美しい映像を永久に残す方法はないかと考えた。これが、光で紙に直接光景を焼き付ける研究の開始に繋がったといわれる。彼は硝酸銀溶液をしみこませた紙を使い感光紙を作り、黒白の反転した陰画を固定して、印画紙に陽画を焼き付けるというネガポジ式の手段を1835年に発見していたが、一旦中断し数学研究を続けていた。 ダゲールが光の像を銀板に定着させる技術を開発したという第一報が発表された直後、1839年1月25日にタルボットは4年前に発明していたという画像数枚を王立協会で公開した。さらに2週間以内にタルボットは王立協会に対し、光で絵を描くという自分の技術(当時は「写真」、photograph ではなく、「フォトジェニック・ドローイング」、photogenic drawing と呼んでいた)の詳細を公開した(ダゲールが自分の技術の詳細をフランス学士院科学アカデミーで公表するのはこの後の8月になる)。 タルボットは、ジョン・ハーシェルら多くの科学者から協力を得て研究を進め、1840年までに技術を完成させた。1841年にはカロタイプ、または発明者の名をとりタルボタイプ(talbotype )とよばれる写真製法を発表した。これはハーシェルやジョゼフ・バンクロフト・リード(Joseph Bancroft Reade)らの先行する研究を反映させたもので、タルボットの独自の貢献は陰画(ネガ)を作り、そこから多数の陽画(ポジ)を焼き付けることを可能にするというアイデアだった(ネガとポジという言葉自体はハーシェルの発案である)。また没食子酸を用いて潜像を現像するのもタルボットのアイデアだった。 彼はこの技術によって王立協会から1837年ベーカリアン・メダル、1838年にロイヤル・メダル、1842年にランフォード・メダルを受賞した。また1843年に写真工房を作り、複製能力を生かした写真集の出版を開始した。1844年に出版した世界最古の写真集『自然の鉛筆(Pencil of Nature )』は特に有名である。
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