カピラ城
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カピラ城(カピラじょう)とは、紀元前4–6世紀ごろに存在した小国、あるいはその土地。釈迦の出身地として著名である。カピラヴァストゥ、カピラワットゥとも(後述)。
注釈
- ^ 彫刻の所在地はサーンチー。
- ^ UNESCOの世界遺産認定委員会によるとルンビニ地域への巡礼も15世紀ごろには途絶えた[2]。
- ^ ICOMOSの区分は (iii) (vi)である[5][6]。
- ^ ブラッドフォード大学の考古学班は、前年の2000年にルンビニの初期現地調査を行った際[7]に、ルンビニの遺構に仏陀の母摩耶夫人に捧げる寺院を建築する案を否決するよう、ICOMOSに推奨している。
- ^ このときの世界遺産委員会の答申に対する回答書には丹下健三事務所作成の図[9][10]が添えられた。
- ^ ペッペらによって発掘された遺物はシャム王(当時)のラーマ5世に贈られ、その一部は王から1900年5月に東本願寺の代表に授けられた。授与式がバンコクの寺院ワット・ポーで開かれると舎利と金銅釈迦像、パーリ仏典のクメール語写本と思われる金文字の印刷物(2葉)を受けている。釈迦像と仏舎利は1904年以降、日泰寺(旧日暹寺・名古屋)に祀られて、経典は大谷大学図書館(京都)が保管している[13]。
出典
- ^ Marshall, John (1918年). “Guide To Sanchi”. Calcutta: ASI. p. 64. 2018年10月21日閲覧。
- ^ a b ICOMOS 1996b.
- ^ 武田 1998, pp. 71–81.
- ^ 坂詰 1988, pp. 3, 12–20.
- ^ UNESCO 1997.
- ^ ICOMOS 1996a, pp. 79–83.
- ^ Coningham 1996.
- ^ a b Hellier 2001.
- ^ UNESCO 2012a.
- ^ UNESCO 2012b.
- ^ C_666rev 2018, pp. 25–28.
- ^ a b c Peppe 1898.
- ^ a b 田辺 2012, pp. 193–221.
- ^ “カピラヴァストゥの遺構 [Kapilavastu > Excavations]”. 2018年10月21日閲覧。
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