三人のウダーイー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 07:48 UTC 版)
Udaayiiの名前は仏典に非常に多く登場し、それぞれ同一人物と見る向きや、また反対に別人とする説などが混沌として存在し一定しない。これらの元となっている『テーラガーター』(以下、『長老の詩』)684-704偈の註釈によると、 Kāludāyī(カールダーイー)、 Mahā-Udāyī(マハー・ウダーイー) Udāyī(ウダーイー) この三人がいるとする。「長老の詩」684-704の偈ではUdāyīを第3のただのUdāyīとし、しばしば問題を起して仏より叱責を受けたとして、経律に多く出てくるUdāyīをLāludāyīとする。しかしスリランカ所伝の『Manorathapurani』(以下Mano)では、「長老の詩」のUdāyīを、四無礙解を得たKāludāyīとする。したがって「長老の詩」註とは一致しないなど、人物の認定が一致しない。 これを、出身や来歴、伝記上から3人のUdāyīを分類すると、 釈迦仏と同日に生まれ、クシャトリア出身で、かつて仏が太子の朋友で、仏が成道中に、使者をして仏を故郷カピラ城に迎えたUdāyī。「長老の詩」などはKāludāyīと同一人物と見る。 カピラ城のバラモン種にして、仏が成道後に帰城した後に出家したUdāyī。「長老の詩」では単にUdāyīとし、Manoでは彼をKāludāyīとする。(優陀夷の項を参照。) よく問題を起していたUdāyīは、パーリ語系の註釈書ではLāludāyīと呼ばれている。ただし四分律や十誦律等多くの漢訳仏典で、愚悪にして常に問題を起すウダーイを迦留陀夷とする。(ラールダーイの項を参照。) したがって、これらの同名のUdāyīを同一人物とみるより、それぞれ別人と見る方が相応しく、本項の迦留陀夷については、仏がかつて太子時の朋友であったUdāyīについて主に記すこととする。
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