カビルド・アビエルトとは? わかりやすく解説

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カビルド・アビエルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 01:41 UTC 版)

カビルド」の記事における「カビルド・アビエルト」の解説

都市緊急時災害時場合重要な問題に際しては、市民参加するカビルド・アビエルト(cabildo abierto、直訳公開参事会)が16世紀から使用された。公式の統治機関であるカビルドに対して、カビルド・アビエルトは大衆様々な都市問題について議論した投票したりする機会与えた。カビルド・アビエルトに招聘され市民富裕層である傾向高く貧困層や、混血先住民女性奴隷参加できなかった。 初めてカビルド・アビエルトが開催されたのは、1541年6月10日チリサンティアゴであったと言われている。フランシスコ・ピサロペルー死亡したという噂に伴い一連の会合により、ペドロ・バルディビアがチリ総督選出された。 公職選挙をカビルド・アビエルトで行うケース見られた。キューバでは、ハバナなどの都市で、1550年代半ばまで、カビルド・アビエルトで公職選挙が行われていた。総督指名した1人加えて市民2人候補提案することができた。さらにキューバ地方政府一部であるレヒドーレスも2人候補立て、これら5名による選挙がカビルド・アビエルトで行われた。この種の公職選挙は、スペイン領のアンティリャス、パナマキトリマサンティアゴクスコなどでは16世紀までしか続かなかったが、比較民主的であったグアテマラカラカス、パンパロナ、ポトシブエノスアイレスアスンシオンといった他のスペイン領では、独自の職員のうち少なくとも一部はカビルド・アビエルト経由選ばれた。 19世紀多く植民地スペインから独立した時期には、多く宣言それぞれのカビルド・アビエルトで行われたヌエバ・グラナダ首都では、1810年7月10日にカビルド・アビエルトで独立宣言された。1811年12月22日ニカラグア1810年5月21日ブエノスアイレス1821年7月28日ペルーなどの例が挙げられる。 カビルド・アビエルトは今日でも、タウン・ミーティングのような形式開催されている。最近ではアルゼンチンエスペランサ2010年2月12日開催された。アルゼンチン政府高官市民議論するために会合集まった。彼らはエスペランサ市民税制予算案説明し議論質疑応答行った

※この「カビルド・アビエルト」の解説は、「カビルド」の解説の一部です。
「カビルド・アビエルト」を含む「カビルド」の記事については、「カビルド」の概要を参照ください。

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