オリエント急行を復元した観光列車
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「オリエント急行」の記事における「オリエント急行を復元した観光列車」の解説
第二次世界大戦後のオリエント急行は戦前のような豪華列車ではなくなった。特に東欧圏の駅停車時には検問が行われ、客離れが進み、出稼ぎの労働者が多く利用するようになった。一方、1970年代以降、旧国際寝台車会社の客車などを使用し戦前のオリエント急行を復元した観光列車が運行されている。 古くは1967年に国際寝台車会社自身が「まだひとつのヨーロッパがあったとき」と題して豪華列車によるツアーを募集した例があるが、このときは料金が高すぎたために客が集まらず実現に至らなかった。 1976年3月にはスイス連邦鉄道のWalter Finkbohnerの企画により、「特別シンプロン・オリエント急行」と名付けられた列車がミラノ - イスタンブール間を走った。同年10月にはFinkbohnerの友人のスイス人実業家アルバート・グラッツがチューリッヒ - イスタンブール間で「特別アールベルク・オリエント急行」と名付けた列車を走らせた。これはのちのノスタルジー・オリエント急行の基になっている。 20世紀末から21世紀初頭の時点においてヨーロッパで運行されている「オリエント急行」を名乗る観光列車には以下の3つがある。 ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(Nostalgie Istanbul Orient Express、NIOE)、旧名ノスタルジー・オリエント急行(Nostalgie Orient Express、NOE) - スイスの旅行会社インターフルーク社が1977年から運行を始めた列車。 ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス(ベニス・シンプロン・オリエント急行、Venice Simplon Orient Express、VSOE) - オリエント・エクスプレス・ホテルズ社(現・ベルモンド)が1982年に運行を始めた列車。 プルマン・オリエント急行(Pullman Orient Express、POE) - フランスのアコーホテルズの傘下に入ったワゴン・リ社が所有する列車。寝台車はなく昼行専用である。 なお、これらの観光列車で用いられている車両は1930年前後に製造されたものであり、スペースや室内設備の機能性などの面では、2000年代の新型列車の個室寝台に見劣りするところもある。しかしながら調度品の質や人的なサービスの充実、車内でのイベント出席の際のドレスコードが設けられているなど、演出としての豪華さのみならず、列車の格調や風格、ステイタス性に関してはほかのいかなる観光列車と比べても際立っている。 また、NIOE、VSOEとも寝台車はLx型を使用しているが、Lx型は本来青列車など西ヨーロッパ圏内の列車で用いられていた車両であり、国際寝台車会社のオリエント急行では一部区間でのみ連結されていた。プルマン・カー(サロン・カー)も同様である。
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