エリー鉄道 1861年 - 1878年とは? わかりやすく解説

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エリー鉄道 1861年 - 1878年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/29 16:00 UTC 版)

エリー鉄道」の記事における「エリー鉄道 1861年 - 1878年」の解説

建設費かさんだために、1859年8月ニューヨーク・アンド・エリー鉄道倒産し1861年6月25日エリー鉄道 (Erie Railway) として再建された。これはアメリカ合衆国において主要な幹線鉄道倒産した最初の例であった1863年エリー鉄道はバッファロー・ニューヨーク・アンド・エリー鉄道 (Buffalo, New York and Erie Railroad) とその子会社ロチェスター・アンド・ジェネシー・バレー鉄道 (Rochester and Genesee Valley Railroad) を借り受け、それをペンシルバニア鉄道の子会社ノーザン・セントラル鉄道英語版)と共同運営した。バッファロー・ニューヨーク・アンド・エリー鉄道は、旧ニューヨーク・アンド・エリー鉄道倒産受けて1857年にバッファロー・アンド・ニューヨーク・シティ鉄道 (Buffalo and New York City Railroad) を買収し、そのアッティカ以西路線自社コーニングからバッファロー到達するために使用した。ロチェスター・アンド・ジェネシー・バレー鉄道は、本線からエイボン英語版)で分岐し北へロチェスターまでを結んだこうしたことによりフィラデルフィアバッファローを結ぶ路線形成された。この時期、ノーザン・セントラル鉄道はエルマイラ・アンド・ウィリアムズポート鉄道英語版)を借り受けてエルマイラから南へペンシルベニア州内の路線をこの経路一部としていた。ホーネルズビル経由路線エリー鉄道使用する料金が高すぎるという論争があり、またエルマイラ軌間断絶しているという問題があったため、この契約1866年解消された。エルマイラ・ジェファーソン・アンド・キャナンデーグア鉄道 (Elmira, Jefferson and Canandaigua Railroad) とその子会社となっていたシェマング鉄道はノーザン・セントラル鉄道譲渡され、ノーザン・セントラル鉄道標準軌列車運行できるようにするために三線軌条化された。 ナイアガラフォールズへ再び到達できるようにするために、エリー鉄道はサスペンション・ブリッジ・アンド・エリー・ジャンクション鉄道 (Suspension Bridge and Erie Junction Railroad) を設立して1868年路線特許得た。この路線1871年開通しバッファローの東からトナワンダへ結んで、そこからニューヨーク・セントラル鉄道傘下のバッファロー・アンド・ナイアガラ・フォールズ鉄道沿ってまでを結んだ。エリー・インターナショナル鉄道 (Erie International Railway) は1872年特許受けて1874年開通し、これによりインターナショナル英語版)への支線ができ、ロックポート・アンド・バッファロー鉄道 (Lockport and Buffalow Railway) は1871年特許受けて1879年開通し、これによりロックポートへも支線ができた。 1860年代発生した通称エリー戦争英語版)」では、4人のよく知られ資本家会社支配権巡って争ったコーネリアス・ヴァンダービルトが、ダニエル・ドルー(英語版)、ジェームズ・フィスク(英語版)、ジェイ・グールドなどと争ったが、グールド最終的にこの抗争勝利した。しかし1869年ブラック・フライデー英語版)にまつわる取引の不正工スキャンダルへの関与や、イギリス詐欺師ゴードン=ゴードン卿英語版)に100万ドル当のエリー鉄道騙し取られたことなどから、1872年から1873年にかけてエリー鉄道支配権を失うことになった1869年エリー鉄道は、主な鉄道工場施設ダンカークからバッファロー移転させた。ダンカーク工場施設解体されることなく、かつてのニューヨーク・アンド・エリー鉄道主任技師長1851年ダンカーク最初に運転され列車運転したホレイショ・ブルックス(英語版)に貸し付けられた。ブルックスはこの工場施設利用してブルックス・ロコモティブ・ワークス創業し、後に1901年に他の7つ機関車メーカー合併してアメリカン・ロコモティブアルコとなったアルコ1934年までここで蒸気機関車新製続けたが、最終的に1962年工場は完全に閉鎖された。

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