エリー鉄道 1861年 - 1878年
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「エリー鉄道」の記事における「エリー鉄道 1861年 - 1878年」の解説
建設費がかさんだために、1859年8月にニューヨーク・アンド・エリー鉄道は倒産し、1861年6月25日にエリー鉄道 (Erie Railway) として再建された。これはアメリカ合衆国において主要な幹線鉄道が倒産した最初の例であった。 1863年にエリー鉄道はバッファロー・ニューヨーク・アンド・エリー鉄道 (Buffalo, New York and Erie Railroad) とその子会社ロチェスター・アンド・ジェネシー・バレー鉄道 (Rochester and Genesee Valley Railroad) を借り受け、それをペンシルバニア鉄道の子会社ノーザン・セントラル鉄道(英語版)と共同で運営した。バッファロー・ニューヨーク・アンド・エリー鉄道は、旧ニューヨーク・アンド・エリー鉄道の倒産を受けて1857年にバッファロー・アンド・ニューヨーク・シティ鉄道 (Buffalo and New York City Railroad) を買収し、そのアッティカ以西の路線を自社のコーニングからバッファローへ到達するために使用した。ロチェスター・アンド・ジェネシー・バレー鉄道は、本線からエイボン(英語版)で分岐し、北へロチェスターまでを結んだ。こうしたことによりフィラデルフィアとバッファローを結ぶ路線が形成された。この時期、ノーザン・セントラル鉄道はエルマイラ・アンド・ウィリアムズポート鉄道(英語版)を借り受けてエルマイラから南へペンシルベニア州内の路線をこの経路の一部としていた。ホーネルズビル経由の路線をエリー鉄道が使用する料金が高すぎるという論争があり、またエルマイラで軌間が断絶しているという問題があったため、この契約は1866年に解消された。エルマイラ・ジェファーソン・アンド・キャナンデーグア鉄道 (Elmira, Jefferson and Canandaigua Railroad) とその子会社となっていたシェマング鉄道はノーザン・セントラル鉄道に譲渡され、ノーザン・セントラル鉄道の標準軌の列車が運行できるようにするために三線軌条化された。 ナイアガラフォールズ橋へ再び到達できるようにするために、エリー鉄道はサスペンション・ブリッジ・アンド・エリー・ジャンクション鉄道 (Suspension Bridge and Erie Junction Railroad) を設立して1868年に路線特許を得た。この路線は1871年に開通し、バッファローの東からトナワンダへ結んで、そこからニューヨーク・セントラル鉄道傘下のバッファロー・アンド・ナイアガラ・フォールズ鉄道に沿って橋までを結んだ。エリー・インターナショナル鉄道 (Erie International Railway) は1872年に特許を受けて、1874年に開通し、これによりインターナショナル橋(英語版)への支線ができ、ロックポート・アンド・バッファロー鉄道 (Lockport and Buffalow Railway) は1871年に特許を受けて1879年に開通し、これによりロックポートへも支線ができた。 1860年代に発生した通称「エリー戦争(英語版)」では、4人のよく知られた資本家が会社の支配権を巡って争った。コーネリアス・ヴァンダービルトが、ダニエル・ドルー(英語版)、ジェームズ・フィスク(英語版)、ジェイ・グールドなどと争ったが、グールドが最終的にこの抗争に勝利した。しかし1869年のブラック・フライデー(英語版)にまつわる金取引の不正工作スキャンダルへの関与や、イギリスの詐欺師ゴードン=ゴードン卿(英語版)に100万ドル相当のエリー鉄道株を騙し取られたことなどから、1872年から1873年にかけてエリー鉄道の支配権を失うことになった。 1869年にエリー鉄道は、主な鉄道工場の施設をダンカークからバッファローへ移転させた。ダンカークの工場施設は解体されることなく、かつてのニューヨーク・アンド・エリー鉄道の主任技師長で1851年にダンカークへ最初に運転された列車を運転したホレイショ・ブルックス(英語版)に貸し付けられた。ブルックスはこの工場施設を利用してブルックス・ロコモティブ・ワークスを創業し、後に1901年に他の7つの機関車メーカーと合併してアメリカン・ロコモティブ(アルコ)となった。アルコは1934年までここで蒸気機関車の新製を続けたが、最終的に1962年に工場は完全に閉鎖された。
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