地名、分割と都市化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/16 03:13 UTC 版)
「ノースバーゲン (ニュージャージー州)」の記事における「地名、分割と都市化」の解説
1838年2月22日、ジャージーシティが新たな自治体として法人化され、1840年にはバーゲン郡の南部よりジャージーシティとバーゲン・タウンシップで構成されるハドソン郡が設立された。1843年4月10日、ニュージャージー州議会の法により、バーゲン・タウンシップの北部が分離してノースバーゲン・タウンシップが法人化された。当時の領域はハッケンサック川の東、現在のジャージーシティハイツの北とそのものを含んでいた。現在ノースハドソンと呼ばれる地域は、19世紀の後半に大量の移民が入り、都市化が進んだ。このために新しい町が次々とつくられた。1849年4月9日にホーボーケン・タウンシップ(現在のホーボーケン市)、1852年4月12日にハドソン町(後にハドソン市の一部)、1855年4月11日にハドソンシティ(後にジャージーシティと合併、1859年3月9日にグッテンバーグ(タウンシップの中で形成され、1878年4月1日に独立した自治体として分離)、1859年3月15日にウィーホーケン、1861年2月28日にユニオン・タウンシップとウェストホーボーケン・タウンシップ、1864年3月29日にユニオンヒル町、1900年3月12日にセコーカスが分離してそれぞれ自治体となった。 この時代に、ハドソン・パリセイドの西側斜面にそってハドソン郡の墓地の多くが開発された。メドウランズの麓ではエリー鉄道、ニューヨーク・サスケハナ・アンド・ウェスタン鉄道、ウェストショア鉄道がハドソン川のターミナルまで通り、ノースバーゲンのバーゲンヒルを通るトンネルを建設した。ドイツからの移民の最盛期にはここが重要な目的地となり、1874年に設立されたシューツェンパークの名にその名残がある。さらにその北、グッテンバーグ・レーストラックは、その閉鎖後に自動車と飛行機という新技術の試験場となったことで、著名も悪評もある目的地になった。
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