エリー運河とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/26 18:32 UTC 版)
「ニューヨーク港」の記事における「エリー運河とその後」の解説
1824年、アメリカでは初めての乾ドックがイーストリバーに完成した。その場所と深さの故に、港は蒸気船の導入で急速に成長した。続いて1825年のエリー運河の完成で、ニューヨークはアメリカ内陸部とヨーロッパおよびアメリカ東海岸を結ぶ最も重要な中継港になった。 1840年頃までに、ニューヨーク港を経由する旅客と貨物量はアメリカ全土の他の主要港を合わせたよりも多くなり、1900年までに世界でも最大級の港となった。移民を受け入れる主要港となったエリスアイランドには、1892年から1956年の間に1,200万人が到着した。 1870年、ニューヨーク市は港湾開発を系統立てるためにドック部局を設立し、その最初の技師長になったのがジョージ・マクレランだった。 主要道路の改良で効率的な輸送が行われる前には、鉄道貨物はニュージャージーからマンハッタンまで渡し舟で運ばれた。すなわちタグボートと艀、および列車を転がして船積みできるよう甲板にレールを敷いた「列車いかだ」(en:car float)の小さな船隊があった。ニューヨーク市はライバルの港を凌ぐためにこの運航に助成金を出した。
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