エペルネーのシャンパーニュ大通り
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「シャンパーニュの丘陵、メゾンとカーヴ」の記事における「エペルネーのシャンパーニュ大通り」の解説
エペルネはシャンパーニュのメゾンが多くある町で、住民一人当たりの所得が国内最高とも言われる。その中心部にあるのがレピュブリック広場で、世界遺産になっているシャンパーニュ大通り(フランス語版)は、そこから東に伸びる1キロメートルほどの街路である。 この大通りには、ドン・ペリニヨンを生産し、シャンパン出荷量が世界最大のメゾンモエ・エ・シャンドンがある。同社は1743年創業で、3代目のジャン・レミー・モエはナポレオン・ボナパルトの学友だった。モエ・エ・シャンドンのブリュット・アンペリアルは、その後も続いたナポレオンとの交流に因むものだという(アンペリアル Impérial(e) は「皇帝の」の意味)。ジャン・レミーはまた、ドン・ペリニヨン修道士とゆかりがあったオーヴィレール修道院(フランス語版)を買い取った人物でもあり、以降、「ドン・ペリニョン」の名はモエ・エ・シャンドンが擁する最高級ブランド名となっている。モエ・エ・シャンドンは現在、ルイ・ヴィトンなども擁する高級ブランド企業LVMHの一部である。 モエ・エ・シャンドンが創業した18世紀は、ほかのメゾンがシャンパーニュ大通りに次々と建てられた時期でもあった。この街路が重視されたのは、それがドイツへと繋がるシャンパン輸出の通り道だったためである。この大通りに軒を連ねる他のメゾンには、 モエ・エ・シャンドン以前にドン・ペリニヨンのブランドを有していた1858年創業のメルシエ (Mercier)、 エミール・ガレの手がけた花柄のビンが人気を博し、特にアメリカで受け入れられた1811年創業のペリエ・ジュエ (Perrier-Jouët)、 ウィンストン・チャーチルが愛飲し、今ではその名を冠したシャンパンを生産している1849年創業のポル・ロジェ (Pol Roger) などがある。ポル・ロジェのシャンパンは百か国以上で愛飲されており、戴冠式などの式典などでも飲まれている。 世界遺産構成資産としての「シャンパーニュ大通り」には、それよりも北方のマルドゥイユ大通り (avenue de Mardeuil) にあるフォール・シャブロル(フランス語版)も含まれる。これは1900年に竣工したモエ・エ・シャンドンの施設で、ブドウネアブラムシの害を免れるためのブドウの接ぎ木技術の研究や教育に使われた。 シャンパーニュ大通りが構成資産に含まれた理由は、シャンパン生産と流通過程およびメゾンの発展史を伝えるものとしてであり、フォール・シャブロルは生産史への貴重な寄与が認められたものである。
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