エペソスのアルテミス崇拝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 21:00 UTC 版)
「アルテミス」の記事における「エペソスのアルテミス崇拝」の解説
小アジアの古代の商業都市エペソスは、アルテミス女神崇拝の一大中心地で、この地にあったアルテミス神殿はその壮麗さで古代においては著名であった。また、この神殿は現在遺跡が残るのみであるが、近くの市庁舎に祀られていた女神の神像は現存している。この像は胸部に多数の卵形の装飾を付けた外衣をまとっており、あたかも「多数の乳房を持つ」ように見える。この像は一般に「多数の乳房を持つ豊穣の女神」として知られ紹介されるが、異説として女神への生け贄とされた牡牛の睾丸をつけられているともされる。 小アジアにおけるキュベレーなどの大地母神信仰と混交して、独特なアルテミス崇拝が存在していたと想定されている。それは植物の豊穣や多産を管掌する地母神としてのアルテミス崇拝であった。この信仰は、古代ギリシアの森や山野の処女神アルテミスのイメージ・原像とは異なっている。また、出産の女神でもあったアルテミスの原像ともかなり異なっている。 キリスト教における使徒・パウロは、『エペソス人への書簡』を通して、エペソスの人々にキリスト教徒のあり方を語っているが、パウロはアルテミス信仰と正面から戦いを挑んでいたとも考えられる。また、『使徒行伝』はエペソスにおける女神信仰の様を偶像崇拝と記している。女神の壮麗な神殿は、キリスト教の地中海世界への伝播とともに信仰の場ではなくなり、やがてゴート族の侵攻で灰燼に帰した。
※この「エペソスのアルテミス崇拝」の解説は、「アルテミス」の解説の一部です。
「エペソスのアルテミス崇拝」を含む「アルテミス」の記事については、「アルテミス」の概要を参照ください。
- エペソスのアルテミス崇拝のページへのリンク