エオケラトプス
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1901年、 ローレンス・ラムはカナダ・アルバータ州・ベリークリークで恐竜の頭骨を発見し、モノクロニウス属の新種、M.カナデンシスとして発表した。 その 模式標本、 NMC 1254 はカンパニアン中頃のものと思われるベリーリバー層群から発見された。それは部分的な頭骨、下顎、脊椎の前部を含んでおり、亜成体と思われた。頭部は右の上眼窩角、右眼窩、右側の鱗状骨、フリルの縁の断片、そして左の下顎の後部の要素からなる。この時、ラムは右頸部も発見したと思っていたが、これは後に正しくは鼻骨と特定された。彼は1897年に右下顎を NMC 284 とし、それと別に上眼窩角を NMC 190とした。 1905年にスタントンとジョン・ベル・ハッチャーは、本種をケラトプス・カナデンシス Ceratops canadensis として、つまりケラトプス属に含まれるとして再記載した。 これは1907年のハッチャーの死後の出版で確認された。その中で、ハッチャーはさらに上顎と歯を参照し、カスモサウルス・ベリとの同一性を示唆していた。 1915年、ラムは新属エオケラトプスを設立した。この名は古代ギリシャ語で「暁のケラトプス」を意味する。本属がケラトプスより更に古い時代に生きていたと考えた故である。モノクロニウス・カナデンシスに代わってE.カナデンシスがその模式種とされた。 後の1915年、複数の標本がエオケラトプスに含められた。その内の一つが1913年にウィリアム・エドマンド・カトラーによって発掘された化石である。それはカトラーの不慮の死後、カルガリー動物園に保管されていたが最終的に破壊され失われたものとアメリカの古生物学者たちは推定していた。しかし実はカトラーが自然史博物館に売却して、それがカスモサウルス BMNH R4948 として収蔵されていたことが2010年に発覚した。別の標本 UALVP 40 は、1921年にジョージ・フライヤー・スタンバーグによって発掘され、1923年にエオケラトプスとしてチャールズ・ホイットニー・ギルモアによって記載されたものである。1933年、 リチャード・スワン・ルル はそれがカスモサウルス・カイセニのメスかもしれないと考えた。1990年、 トーマス・レーマンはカスモサウルス・カイセニとエオケラトプスを統合し、カスモサウルス属の新種、カスモサウルス・カナデンシスに含めた。 2010年にニコラス・ロングリッチは、レーマンがC.カナデンシスとした TMP 1983.25.1を新属新種モジョケラトプス・ペリファニアとして記載した。(詳細は前節モジョケラトプスを参照)その顛末でエオケラトプスは疑問名となった。 キャンベルらは、2016年のカスモサウルスの種についての分析でエオケラトプスおよび C. カイセニはどちらもホロタイプとしての独自性に欠くため種不詳のカスモサウルスとした。 ホロタイプはかなり小さい個体であることを示している。その鱗状骨は外側の曲線に沿って計測して、長さ57cm、幅38cm。縁後頭骨は6つ。亜成体であることは、短く幅の広い鱗状骨、短い鼻面と癒合していない縁鼻骨によって判断することができる。鼻角の基底部には、三日月形の構造があり、鼻骨との接触面が見える。これは、1915年にラムが縁鼻骨を形成する別の骨化であることを示唆している。エオケラトプスの上眼窩角は通常のカスモサウルスと比べかなり長く、216mmある。これは基底部の直径の二倍の長さになる。上眼窩角は後ろに反っている。ラムはこの角の反りは個体が成長段階の途中であったことを示すわけではなく、タクソンが有効であることを示す独自の特徴であると唱えた。しかし今日ではこの角の反りはカスモサウルス亜科において、その個体が未成熟であることを示す特徴として理解されている。 1902年、ラムはモノクロニウス・カナデンシスをケラトプス亜科に分類した。1915年、ラムはエオケラトプス亜科 Eoceratopsinae を設立し、そこにアンキケラトプス、トリケラトプス、そしてネドケラトプス(当時はディケラトプス)も含め、カスモサウルス亜科よりもコンパクトで頑丈なフリルをもつ別のグループと考えられた。 今日ではそういった形態はエオケラトプスも含め、カスモサウルス亜科に含まれることになっている。
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