エウアイモーンの息子とは? わかりやすく解説

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エウアイモーンの息子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 09:24 UTC 版)

エウリュピュロス」の記事における「エウアイモーンの息子」の解説

このエウリュピュロステッサリアー地方都市オルメニオンの王で、エウアイモーンとオーピスの間に生まれた子である。ヘレネー求婚者の一人で、トロイア戦争で彼が指揮したオルメニオン人の軍船40隻は、アウリス集結したアカイア勢の中で最も大き艦隊一つであった戦闘では勇敢に戦いディオメーデース大アイアースイードメネウス並び、しばしば最も優れた戦士として数えられるホメーロス『イーリアス』では、彼はヘクトール一騎討ち受けようとしたが、くじ引き挑戦者決定した際に外れたので叶わなかった。大アイアース激し戦いの中で負傷し撤退余儀なくされた際は、大アイアース守りつつ戦い、アピサオーンを討ったが、パリスの矢に射られ腿を負傷した。その戦闘時には他の有名なアカイア戦士も傷を受け、撤退するところであったエウリュピュロスの傷はパトロクロス手当をした。その時エウリュピュロス彼にアキレウス戦闘参加するのを拒んでも、パトロクロス参加するように説得したエウリュピュロストロイアの木馬作戦参加した武将一人であったエウリュピュロストロイア戦争生き残ったその後運命パウサニアス次のように描写している。戦後略奪品として大きな箱を手に入れた。それはアイネイアーストローイアから逃げる際に捨て置かれたものであったという。別の話では、カッサンドラーによって、アカイア勢で誰か箱を開けた者への呪いかけられ故意置いていかれた。その箱はゼウストローイア贈ったもので、箱の中にはヘーパイストスによって作られディオニューソス幻影入っていた。エウリュピュロスが箱を開けると、気が狂った正気に戻る時もあったので、彼はデルポイ聖域に赴き、狂気治す方法聞いた巫女が言うには、並ならぬ犠牲捧げる人々を見つけ、そこに住めということだった。やがて彼はアロエ(後のパトラ)に来ると、そこで人々少年少女アルテミス生贄にしているのを見た。それはコマイトーメラニッポスが彼女の神殿穢したので、女神宥めるためであった人々エウリュピュロスを、かつて予言され指導者だと認識したというのも予言者は、異国の神の姿と文化もたらす者が来る時、生贄はやむであろうと言ったからである。この後エウリュピュロス正気取り戻しアロエ人々少年少女生贄を出す必要が無くなった彼の墓はその町にあり、このことがあってから人々はデュオニューソスの祭りの際に彼に犠牲捧げた

※この「エウアイモーンの息子」の解説は、「エウリュピュロス」の解説の一部です。
「エウアイモーンの息子」を含む「エウリュピュロス」の記事については、「エウリュピュロス」の概要を参照ください。

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