ウィルクス事件とは? わかりやすく解説

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ウィルクス事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:37 UTC 版)

ジョージ・グレンヴィル」の記事における「ウィルクス事件」の解説

ビュート伯批判し続けていた急進派庶民院議員ジョン・ウィルクスは、1763年4月23日発行パンフレット『ノース・ブリトン』45号でジョージ3世議会停会の際の勅語七年戦争講和条約称賛する内容)を批判した。その記事の中でウィルクスは「勅語これまで議会において、また一般国民からも大臣演説考えられてきた」として勅語批判違法ではないとの見解示した。そして国王称賛しつつ、グレンヴィル首相のことは「ビュート権力薄汚い残りかす」「腐敗専制道具」と批判し、「自由はイギリス臣民大権」「抑圧されるならば、あらゆる合法的な企図によって正当な抵抗試みであろう」と論じた。 「合法的な企図」と断っており、特に問題視すべき内容でもなかったが、野党攻勢苦しめられていた国王グレンヴィルはこれを「扇動目的持った誹謗文書」と過度に問題視しウィルクス扇動誹謗罪で処罰することとした。しかもその処罰仕方は、逮捕者特定しない一般逮捕状でもって『ノース・ブリトン』45号の執筆印刷出版に関わった全員逮捕するという強硬なやり口だった。この件は議会内外に「ノース・ブリトン45号は扇動目的誹謗文書か」「一般逮捕状合法的か」「ウィルクス逮捕議員特権侵害ではないか」という法律問題巻き起こした間もなくウィルクス人身保護令状執行ロンドン塔から釈放され、また議員特権を持つ者を逮捕・監禁するのは違法行為である旨の判決得た。自由の身となったウィルクスはさっそく政府への挑戦再開し、ノース・ブリトン合冊本の出版目指したが、その前に女性論(An Essay Woman)』という本を出版した。これは猥褻で神を冒涜する内容であり、ウィルクス対す議会反感高めた11月には貴族院で『女性論』が取り上げられ満場一致で神への冒涜批判する決議出された。ウィルクス釈放支援していた者たちもこの件ではほとんどウィルクス擁護しなかった。また庶民院も『ノース・ブリテン』45号を「不穏文書」と認定しウィルクスに対してとった政府処置包括的に容認する決議行った。このウィルクスへの反感利用してグレンヴィルは、1763年11月ウィルクス特権及ばないことの確認動議、ついで1764年1月にはウィルクス庶民院から除名する旨の動議可決させた。 身の危険感じたウィルクス1763年12月にもフランスへ亡命したので、ウィルクスをめぐる問題一段落したとなった。しかしこの時のグレンヴィル内閣ウィルクス対す過酷な処置は、議会内外イギリス臣民の自由が危機晒されているという不安を高めることになり、後々まで引きずることになる。政府安定という観点からいえば、かえって悪影響もたらしたといえる

※この「ウィルクス事件」の解説は、「ジョージ・グレンヴィル」の解説の一部です。
「ウィルクス事件」を含む「ジョージ・グレンヴィル」の記事については、「ジョージ・グレンヴィル」の概要を参照ください。

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