ウィルクス調査探検隊の支援、1838年–1842年
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「ヴィンセンス (戦闘スループ)」の記事における「ウィルクス調査探検隊の支援、1838年–1842年」の解説
1836年に任務を離れた後、ヴィンセンスは軽甲板を増設するという改造を加えられ、南極に向かう米国調査隊(United States Exploring Expedition)の旗艦となった。チャールズ・ウィルクス大尉に率いられ、調査隊は1838年8月にハンプトン・ローズを出港、南アメリカ沿岸に沿って調査を続けながら南下し、1839年には短期間南極を調査した。1839年の8月および9月には南太平洋に入ったが、その際にヴィンセンスの地図作成者が作った地図は現在でも使用されている。 その年の残りを南米西岸と南太平洋の調査に費やし、1839年の暮れにシドニーに入港し、ここを南極探検の母港とした。1840年の1月中旬から2月中旬にかけて、南極大陸の沿岸を調査。ヴィンセンスが航海した沿岸部は、今日ウィルクスランドと呼ばれているが、その名は1841年に初めに地図に記載されたものである。 さらに、南太平洋の島々、ハワイ、コロンビア川、ピュージェット湾、カリフォルニア、ウェーク島、フィリピン諸島、南アフリカを調査し、1842年6月に3度目の地球一周を終え、ニューヨークに戻った。
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