ウィトゲンシュタインによる批判 語りえないとは? わかりやすく解説

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ウィトゲンシュタインによる批判 語りえない

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:07 UTC 版)

なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」の記事における「ウィトゲンシュタインによる批判 語りえない」の解説

詳細は「検証主義」、「ウィーン学団」、「論理実証主義」、「分析哲学」、および「語りえないものについては、沈黙しなければならない」を参照 オーストリア出身哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889年 - 1951年)は1921年出版された著作論理哲学論考』の中で次のように記している。 世界どのようになっているか、でなく、世界があるということ、これが謎である。 — ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』(1921年) 6. 44土屋賢二ウィトゲンシュタインにとって世界とは「起きていることのすべて」、「事実総体」を指す。つまり「どういった事実成立しているのか」ではなく「なぜそもそも何らかの事実成立しているのか」ということを彼は、謎である、とした。しかしこの問題について言語による説明が何か可能であるのかについては、ウィトゲンシュタインはこれを「語りえないもの」のひとつと見ていた。1929年ウィトゲンシュタイン次のように語っている。 私はハイデガー存在不安について考えていることを、十分に考えることができる。人間には言語限界向かって突進しようという衝動がある。たとえば、何かが存在するという驚き考えてみるがいい。この驚きは、問いの形で表現することはできないし、また答えなど存在しない、われわれがたとえ何かを言ったとしても、それはすべてアプリオリ無意味しかないそれにもかかわらず、われわれは言語限界向かって突進するのだ。 — シュリック家での談話ハイデガーについて (1929年末)、木田元ヴィトゲンシュタイン考え方は、検証原理(verification principle)という形を取って以降哲学流れ大き影響を及ぼす検証原理とは、問い真性のものであるためには、解答なければならないし、また提出され解答正しかどうかチェックすることができる(つまり検証できる)という事が必要である、という考えである。そして解答出せない問題や、出され解答真偽検証できない問題というのは、擬似問題であり、関わりあうべき問題ではない、という態度含意する。こうした考え方は、論理実証主義、そして分析哲学という形で、以降大き流れとなって西洋哲学大き影響与える。これにより形而上学厳しい批判さらされる。当記事のような形而上学典型とも言えるような問題は、それについて議論すること自体が強い批判さらされることとなる。

※この「ウィトゲンシュタインによる批判 語りえない」の解説は、「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」の解説の一部です。
「ウィトゲンシュタインによる批判 語りえない」を含む「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」の記事については、「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」の概要を参照ください。

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