ウィキペディアの立ち上げについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:40 UTC 版)
「ラリー・サンガー」の記事における「ウィキペディアの立ち上げについて」の解説
現在、ウィキペディアの事実上のリーダーを務めているジミー・ウェールズは、2004年以来、サンガーがウィキペディアの創設に参加したことを積極的に認めない言説を行っている。サンガーは一職員であり、ウィキペディアの共同設立に関しては「当初、同僚の中で(設立を)笑い話以外のものとして考えた者は一人もいなかった」とウェールズはいう。一方、少なくとも2001年9月時点ではサンガーは共同設立人と認知されていた。 サンガーがwikiを初めて知ったのは2001年の1月2日、ウォード・カニンガム(Ward Cunningham)のwiki(Ward's Wiki)の常連だったプログラマー、ベン・コヴィッツ(Ben Kovitz)と夕食を共にした席でのことである。サンガーはwikiは有用なプラットフォームになると考え、当時Bomis社の代表だったウェールズにこのアイデアを伝えることにした。サンガーはウェールズにwikiのコンセプトを説明してこれをNupediaに応用することを提案し、ウェールズは当初疑問をもっていたが結局同意して実行に移すことにした。wikiのアイデアを提示した後、サンガーは正式に「wikiをつくろう」("Let's make wiki")というNupediaのfeederプロジェクトを立ちあげ、Ward's Wiki上に「WikiPedia」という新規ページを作成した。 ウェールズは「非専門家」が参加できる百科事典の基本的なアイデアをNupediaに由来するものであるとしている。ウェールズは以前、2001年10月の時点で「ラリーがウィキを使うアイデアをもってきた」と述べていたにも関わらず、最近ではウィキのコンセプトを最初に知ったのはジェレミー・ローゼンフェルド(Jeremy Rosenfeld)からであると述べることがある。 実際のところは、「最初はほんとうに馬鹿げたプロジェクトだったものに、"Wikipedia"なんていうこれまた馬鹿げた名前を持ち出した」のはサンガーである。サンガーは、ウィキペディアにおける自分の役割についてのウェールズの見解に応える形で、自分のウェブページに多くのページへのリンクを投稿し、それらのページはサンガーが設立人のひとりであることをほぼ疑いなく示すものであると受け取られた。たとえば、サンガーは自分が設立に参加したことを示す証拠として、ウィキペディアの初期バージョンのページを挙げている。また、2002年から2004年にかけてのウィキペディアのプレス・リリースを引用し、初期に報道メディアに出た記事はウェールズとサンガーが共同設立者である報じていると述べている。さらに、サンガーはNupediaの伸び悩みを解決するアイデアとしてウィキに基づく百科事典のアイデアを構想したのは自分であり、最初期にコミュニティの先頭にたって方向付けを行ったと回想している。 サンガーがプロジェクトに関わっていた当時は、彼は共同設立者として認識されており、疑義を呈されることはなかった。また、サンガーはメディアにおいても共同設立者のひとりとして広く認識されていた。 そして、ウィキペディアはNupediaから思いがけなく派生したプロジェクトであり、本来は編集者側のレビューの前の段階での共同執筆を可能にするためのものだったのである。
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