ウィキペディアの設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 16:47 UTC 版)
「ウィキペディアの歴史」の記事における「ウィキペディアの設立」の解説
ウィキ形式のウェブサイトをヌーペディアの関連プロジェクトとすることに対し、ヌーペディアの編集者・査読者は強い拒否感を示した。そこでサンガーは新プロジェクトに「ウィキペディア(Wikipedia)」という独立した名称を与えることを考案した。2001年1月15日月曜日、ウィキペディアが独自のドメイン名「wikipedia.com」の元で開設された。ウィキペディアが使用するバンド幅とサンディエゴのサーバーはボミスから提供された。のちに多くのボミスの元従業員がウィキペディアに協力しており、その中にはボミスの共同創業者でCEOも務めたティム・シェルや、プログラマのジェイソン・リッチーが含まれる。 ウィキペディア上に現在も保存されている最古の記事は、2001年1月16日火曜日21時08分(UTC)に作成された「UuU」である。翌17日にはウィキペディア設立の公式声明が出され、 ヌーペディアのメーリングリスト上でウィキペディアへの参加・貢献が呼びかけられた。 2001年7月25日、技術・文化系コミュニティサイト「Kuro5hin」(コロージョン)のフロントページに、ラリー・サンガーがウィキペディアおよびヌーペディアの未来について語った記事が掲載された。翌7月26日に技術系ニュースサイト「スラッシュドット」で前述の記事が紹介されるとスラッシュドット効果が発生し、ウィキペディアは多くの新規訪問者・参加者を獲得した。(スラッシュドットではすでに同年3月にも2度、ウィキペディアについて言及があった。)外部サイトでの紹介による急激なアクセス増加の間にも、ウィキペディアにはGoogleのような検索エンジンを介して一定のアクセスがあり、Googleからの新規訪問者は1日当たり数百人にのぼった。ウィキペディアが初めて大手のメインストリームメディア(英語版)で紹介されるのは『ニューヨーク・タイムズ』上で、同年の9月20日であった。 ウィキペディアの記事数は2001年2月12日に1000本を突破し、9月7日には1万本に到達、誕生から1年で2万本を超える百科事典記事が作成され、2002年8月30日時点での記事数合計は4万本にまで増加していた。 ウィキペディア発足時のウィキソフトウェアである「UseModWiki」は、古いデータを約1ヶ月が経過した時点で削除していたため、長きにわたりウィキペディアの最初期の編集記録は失われたものと信じられていた。ところが2010年12月14日火曜日、ソフトウェア開発者のティム・スターリングは「SourceForge.net」上でウィキペディアのバックアップ・データを発見し、2001年1月(開設直後)から8月17日にわたる全ての編集活動が記録されていた。このデータによると、ウィキペディアで行われた最初の編集は2001年1月15日、メインページへの「This is the new WikiPedia!」というメッセージの追加だった。ジミー・ウェールズはスターリングよりも早い2008年12月に、ウィキペディア最初の編集を行ったのは自分であると主張しており、その編集内容は「Hello, World!」というテスト文の投稿だったと述べた。ウェールズが編集を行ったウィキとは、UseModWiki 以前にごく短いあいだ存在し、その後すぐ削除されたごく初期のウィキペディアという可能性はある。
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