インコヒアレンス(2006-2010)
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「ハロウィック」の記事における「インコヒアレンス(2006-2010)」の解説
2006年に入りタッグ・ワールド・グランド・プリックスに出場が決定するも別の怪我でウルトラマンティスが欠場してしまう。初戦でクロスボーンズとロールシャッハとの試合前に抽選でパートナーを選んだ結果デリリアスに決定、インコヒアレンス(Incoherence)を結成。ヒールでありながらベビーと組むタッグであったが、2回戦でチーチ・アンド・クラウディ、3回戦でKUDOとMIKAMIのチームDDTを破るが準決勝でキング・オブ・レスリングに敗れている。この時期からベビー色が強くなり、復帰したヒール色の強いウルトラマンティス・ブラックと反発をしあうようになってしまう。 6月のヤングライオンズカップ開催中にウルトラマンティスがハロウィックを攻撃、ダーク・ブリードの死亡宣言と共に弟子のハイドラとの新たなユニットであるオーダー・オブ・ネオソーラー・テンプル(The Order of the Neo–Solar Temple)の結成と抗争を宣言。オーダー・オブ・ネオソーラー・テンプルには元パートナーのレイジや、クロスボーンズが加入し勢力を増している。9月にウルトラマンティスとのシングルでピンフォール負けをするが、11月の8人タッグではチーチ・アンド・クラウディと組んでオーダー・オブ・ネオソーラー・テンプルから勝利を収め、抗争を終了している。 2007年になるとエディ・キングストンと抗争を開始。10月にはイカルスとチャック・テイラー(本来はグラン・アクマのはずだったが、負傷したため変更)のチーム F.I.S.T.からChikaraのタッグ王座であるカンペオナトス・デ・パレージャスを奪取している。しかし、その後は低調子になり、11月のキングストンとの抗争決着戦では負けてしまっている。2008年からタッグ王座獲得に伴ってタッグ戦線に乗り込み、王座をほぼ1年間保持をしていた。9月にスーパー・スマッシュ・ブラザーズ(プレイヤー・ウノ、プレイヤー・ドス)にタイトルを奪われてしまっているが、歴代最高の防衛回数を記録した。11月に弟子のフライトメアがデビューしたことでインコヒアレンスに加入させ、King of Trios tournamentに参加するが初戦でマスターズ・オブ・サウザント・ホールズ(クアンケンブッシュ、ホルヘ"スカイデ"リベラ、ジョニー・セイント)に負けてしまっている。4月にウルトラマンティスとクロスボーンズがデリリアスを拉致、そのまま洗脳してしまいオーダー・オブ・ネオソーラー・テンプルに強制的に加入されてしまった。11月にフライトメアと組み、デリリアスとウルトラマンティスと対戦している。デリリアスは脱退してしまったが、弟子のフライトメアとのタッグでインコヒアレンスとして活動を継続している。 2010年に入ると1月にブリューダーズシャフト・デス・クロイツ(Bruderschaft des Kreuzes)、通称BDKのメンバー、サラ・デル・レイとデイジー・ヘイズとの試合をきっかけに抗争を開始している。4月のKing of Triosの初日ではクアンケンブッシュとの3人でフライトニングとして出場するもチーム・ビッグ・ジャパン(関本大介、岡林裕二、星野勘九郎)に初戦で敗れている。2日目にクリストファー・ダニエルズと対戦するも敗北。3日目にチームでガントレット・マッチに出場、チームF.I.S.T.やオーダー・オブ・ネオソーラー・テンプル、BDKと対戦している。トーナメント終了後に5月の8周年記念興行でBDKのアーレスとクラウディオ・カスタニョーリが持つカンペオナトス・デ・パレージャスの挑戦が発表された。8周年興行では、試合前にBDKの新メンバーであるデリリアスと不可解な審判をするレフェリーのデレク・サバトの2人に暴行されその影響で敗れている。10月にBDKとチカラの主力選手の全面対決にチカラ側で参加、トゥルサスに排除されてしまったがチームは勝利している。
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