イギリス・カナダとの戦争の可能性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/17 02:46 UTC 版)
「レッド計画」の記事における「イギリス・カナダとの戦争の可能性」の解説
レッド計画では、アメリカとイギリスとの戦争は主に国際貿易・商業をめぐる覇権争いに端を発し、イギリスはライバル国家アメリカの経済を破壊するために侵略を行うと想定された(当時アメリカは中国など世界各地へ経済進出を行っていたものの、イギリスが帝国主義時代以来各地にもっていた利権との間で衝突が起こっていた)。具体的には北米大陸が戦場となり、特にイギリス連邦に加盟しているカナダとの国境での衝突が仮定された。アメリカ軍は、イギリスが対米戦争を仕掛けるにあたってカナダを理想的な拠点とみなすだろうと考えたため、カナダ国境の防衛、およびカナダへの逆侵攻が計画されている。この計画でイギリスは「赤」、カナダは「クリムゾン(深紅)」と呼ばれたほか、インドは「ルビー(真紅)」、オーストラリアは「スカーレット(緋色)」、ニュージーランドは「ガーネット(濃赤色)」と呼ばれた。1935年にはアメリカ軍はこの計画に基づき、米加国境の五大湖付近に民間飛行場を装った滑走路を三つ建設したほか、部隊をカナダの首都オタワの南にある国境へと移動させている。 計画が機密解除された1974年以降、この計画が明るみに出たことで、「クリムゾン」と呼称されアメリカ軍の第一攻撃目標になっていたカナダでは反発が広がり、米加関係に波風が立った。このレッド計画が実際に発動されることを意図して立てられたものかどうかについて、19世紀末までは米英戦争が再発することに現実味があったため、アメリカは本気でイギリスおよびカナダに戦争を仕掛けるつもりだったという議論もある。しかし20世紀に入り、英米関係および米加関係は改善に向かっていた。たとえば、ベネズエラとイギリス領ギアナ(現在のガイアナ)間の国境紛争(グアヤナエセキバ問題)の円満解決、中米(特にパナマ)に計画されていた運河の通航の自由を定めた英米間のヘイ・ポーンスフット条約(1901年)、五大湖などをめぐる国境紛争の解決を目指した米加間の国境水域条約(1909年、International Boundary Waters Treaty)とこれを基に成立した米加二国間の組織である国際共同委員会(International Joint Commission)、ワシントン海軍軍縮条約の成立などは、アメリカとカナダおよびアメリカとイギリスの関係を徐々に親密なものに変えている。 レッド計画は一般論が多く細部を欠き、米軍の計画立案者から見てもこの計画の優先度が低かったことが見て取れる。
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