アーヴィングによるコロンブスの伝記
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「地球平面説という神話」の記事における「アーヴィングによるコロンブスの伝記」の解説
1828年に、ワシントン・アーヴィングのロマン主義の色濃い伝記『クリストファー・コロンブスの生涯と航海』が発表されたが、多くの人はこれを学術的な作品だと誤解した。その伝記の第三巻第2章でアーヴィングは、スペインの君主がコロンブスの申し出を秤量するために行った会談に関して非常に虚構性の高い説明を行っている。アーヴィングの行った、さらに幻想的な脚色として、地球は丸いというコロンブスの主張に対してその会談に参加していた無知で頑迷固陋な人々が聖書の内容を引き合いに出して反論したというありそうもない話がある。 実はアーヴィングも指摘してはいることだが、コロンブスの航海した1490年代に問題とされたことは地球の形状ではなく地球の大きさとアジア東岸の位置である。クラウディオス・プトレマイオス以降伝統的になされてきた見積もりでは、アジア東岸はカナリア諸島の180°東側に存在することになる。コロンブスは以前に否定された225°という見積もりに(マルコ・ポーロの旅行に基づいて)28°加え、日本はさらに東に30°の位置にあると考えた。コロンブスはユーラシア大陸をポルトガルのサン・ヴィセンテ岬から始まるものとして283°にまで伸長させ、大西洋を77°ぶんの広さしかないものとみなした。(イベリア本土より9°西の)カナリア諸島から出発したため、68°ぶん航海するだけで日本につく算段であった。 コロンブスはアラビア語の文献を読む際により長いアラビア・マイル(1マイル=2177m)ではなくより短いイタリア・マイル(1マイル=1480m)を想定して読むことで、誤って地球の周長を実際の4分の3ほどと思い込んだ。これらの誤りが積み重なった結果、コロンブスは日本までの距離を、実際には20000kmあるのにもかかわらず僅か5000kmと見積もり、その結果カリブ諸島東端に到着することになった。当時のスペインの学者達もアジア東岸までの正確な距離は知らなかったようであるが、彼らはアジア東岸までの距離はコロンブスが見積もったよりもずっと大きいと考えていた。そしてこのことに基づいて、スペインやポルトガルで、学者や船乗りたちがコロンブスを批判したのである。 論点は地球の形状でも西に行くことで日本や中国に到着できるという考えでもなく、当時のヨーロッパの造船技術が大洋での航海に耐えられるかという点であった。当時の小さな船(コロンブスの三艘の船は60-70フィート(20.5-23.5m)の大きさで、乗員は90人ほどであった)に日本に到着するまでの飲食料を積載するのは不可能で、新大陸が存在せず本当に一直線に日本を目指していたら、途中で飲食料が尽きて船団が全滅してしまったことになる。航海終盤で乗員たちが反抗的になったのも「円盤状の地球の端から出てしまうこと」を恐れてのことではなく、飲食物が不足し、餓死の危険にさらされたためであった。結果、日本よりかなり手前に新大陸があったため船団は全滅を免れ、カリブ諸島で飲食料を補給してヨーロッパへの帰還を果たしたが、本物の「日本」への航海という面では、航海に反対した学者たちは正しかった。
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