アーヴィング・プレイス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/20 23:15 UTC 版)
「レキシントン・アベニュー (マンハッタン)」の記事における「アーヴィング・プレイス」の解説
レキシントン・アベニューの南の延長線上には全長5ブロックのアーヴィング・プレイス (Irving Place) が、グラマシー・パークの南端20丁目から14丁目まで走っている。この通りは南北両方向通行である。レキシントン・アベニューとは対照的に、区間が短いこともあり、マンハッタンの主要幹線道路とはなっていない。ユニオン・スクエアが1839年に開園した後、アーヴィング・プレイス周辺のエリアは市内で最も人気の住宅街の一つとなった。これは、エリアの北にはグラマシー・パークが、スタイフェサント・スクエア (en) が開発されたことも大きい。 様々なレストランやバーがアーヴィング・プレイス沿いに並んでいる。中でも、ニューヨークに現存する最古のサルーンであるピートズ・タバーン (en) は、禁酒令の下でも花屋と偽装して生き残った。ここで、オー・ヘンリーが"賢者の贈り物"の着想を得たと言われている。アーヴィング・プラザ (en) は、東15丁目の位置にあり、様々なメジャーおよびインディーズ・バンドのコンサートを催しており、毎夜賑わっている。また、この通りの17丁目からグラマシー・パークの区間には大型のアパートが建ち並んでいる。また、17丁目には、B&B形式の小さな宿やがある。これは 1840–1841年に建設され1991–1995年に改修された2軒のグリーク・リヴァイヴァル建築 (en) のタウンハウスに入っている。 歴史的・建築的に重要な建物はアーヴィング・プレイス47番地および49番地である。後者にはワシントン・アーヴィング (Washington Irving) が住んでいたと言われているが、事実ではない。これらの建物は、東17丁目 / アーヴィング・プレイス歴史地区 (en) の一部であり、20丁目の角の19 グラマシー・パーク (en) はグラマシー・パーク歴史地区の一部である。 この通りにあるオフィスは、en:The Nation誌、薔薇十字団のニューヨーク支部およびSeafarers and International House missionがある。また、病院や市の機関のビルとしては、ワシントン・アーヴィング高校 (en) やニューヨーク市人事課 (en) の本部がある。この通りの南端の西側はゼッケンドルフ・タワー (en) の背面、東側はコンソリデーティッド・エジソン・ビル (en) がある。
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