アンバカ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 03:14 UTC 版)
第一次世界大戦終結直後の混乱の中で、アルヴェス・レイスはアンゴラが極度のインフレに見舞われ、ほとんどの商取引が貨幣ではなく小切手に依存していることを理解していた。アンゴラ最大の企業である王立アフリカ横断鉄道「アンバカ(Ambaca)」の株価も信用を失って暴落する。この状況が、アルヴェス・レイスに株を買い占めることで植民地経営に携わる野心を目覚めさせた。しかしそのために必要な当時の4万ドルは莫大な金額であり、買収資金の捻出のため、アルヴェス・レイスは1924年にアメリカの経営難に陥った自動車会社を介した小切手詐欺を実行する。 当時の小切手は輸送手段(船舶)と通信手段(電報)の関係のために到着と連絡の誤差があり、ポルトガルからニューヨークの当座預金までアルヴェス・レイスの振りだした小切手が到着するまで8日を要した。彼はその時間差に着目し、支払い能力のない10万ドルの小切手を降り出すと到着寸前の7日目に電報で裏書きを行い、さらにその決済が遅れたためと称してもう一通の小切手を改めて振り出すことで、その小切手到着までの24日間だけ有効と見なされる小切手を作り出した。アルヴェス・レイスは4万ドルをアンバカに、残りの6万ドルを南アンゴラ鉱山に投資すると、それが破綻する前に保証を得る必要があることから石油、ダイヤモンド、金を始めとするアンゴラの利権をちらつかせて投資家から資金を募った。こうして南アンゴラ鉱山株は急騰した。 この誘いに仲介者として参加したのがオランダ経済界で名の売れていたホセ・バンデイラであり、その紹介の元でオランダで落ち合った相手がオランダの武器商人カレル・マラン・ファン・イッセルヴェーレ、そして金融ブローカーであるドイツのアドルフ・ヘニーであった。彼ら三名はアルヴェス・レイスの話に大いに乗り気になるも、1924年5月に帰国したレイスがポルトで逮捕されたことでこの話は立ち消えとなった。巨額の詐欺事件にも関わらず、横領罪で逮捕されたアルヴェス・レイスに下された判決は54日間の服役であった。この懲役生活の中でアルヴェス・レイスは資金自体の不足が今回の失敗を招いたことを痛感し、資金自体を手に入れる「新しい詐欺」について計画を練り、貪欲かつ有能な仲間を活用する方法を思いついていた。
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