アンハルト公国の成立と消滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 02:36 UTC 版)
「アンハルト公国」の記事における「アンハルト公国の成立と消滅」の解説
アンハルト=ケーテン公国は1847年に、アンハルト=ベルンブルク公国は1863年に、それぞれ継嗣なく絶え、その所領はアンハルト=デッサウ公レオポルト4世が受け継いだ。これによりアンハルト諸国が統合され、1863年にアンハルト公国が成立した。北ドイツ連邦への加盟(1866年)を経て1871年にドイツ帝国の構成国となった。 3代目のフリードリヒ2世は演劇やオペラの後援者として知られたが、1918年4月に死去。公位を継いだ弟のエドゥアルトも9月に没し、その子ヨアヒム・エルンストが17歳で継承するが、3か月後にドイツ革命が勃発。君主制は廃止されて公国は終焉を迎え、その領域はアンハルト自由州となった。
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