アメリカへ進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 16:18 UTC 版)
「エドウィン・バレロ」の記事における「アメリカへ進出」の解説
2009年2月にボブ・アラムが主催するトップランク社に移籍し、米国に拠点を移した。 2009年4月4日、アメリカ・テキサス州オースティンでアントニオ・ピタルア(英語版)(コロンビア)とWBC世界ライト級王座決定戦で対戦。2回49秒TKO勝ちを収め、王座獲得。2階級制覇を達成した。2003年以来、約6年ぶりのアメリカでの試合であった。テキサス州コミッションのライセンスを取得した上での試合であったが、まだ他の州では試合を行えない状態であったことから、ボブ・アラムは数戦テキサス州で試合をさせたあと、ネバダ州など他の州でもライセンスを取得させたいと話した。 2009年9月24日、ベネズエラでバレロが母親と姉妹を殴ったとして家庭内暴力容疑で逮捕される。バレロは逮捕されたことを否定した。このあとアメリカのテキサス州でも飲酒運転で逮捕をされる。この2つの事件を起こしたことによりバレロがアメリカ国内でのボクシングライセンス取得がさらに困難になった。 2009年11月14日にラスベガスのMGMグランドで行われるマニー・パッキャオ vs. ミゲール・コットの前座カードとしてウンベルト・ソト(メキシコ)との対戦が予定されていたが、米国から滞米ビザ発給を拒否され断念した。 2009年12月19日、初防衛戦。母国・ベネズエラにて同級14位ヘクトール・ベラスケス(メキシコ)と対戦し、6回終了TKO勝ち。 2010年2月6日、敵地メキシコ・モンテレイのモンテレーアリーナで暫定王者アントニオ・デマルコ(メキシコ)との王座統一戦に臨み、9回終了TKO勝ち。2度目の防衛に成功し、これでデビューから27戦連続KO勝ちで歴代11位の記録となった。この試合が生涯最後の試合となった。 デマルコとの統一戦後、スーパーライト級への転向を希望して同王座を返上したが、WBCからは2010年2月9日付でライト級休養王者として認定された。
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