アメリカを代表する音楽家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 08:59 UTC 版)
「アーヴィング・バーリン」の記事における「アメリカを代表する音楽家」の解説
第二次世界大戦後にも『ショーほど素敵な商売はない』など、現在も歌い継がれる曲を多数残したものの、1950年代以降のロックンロールの人気に違和感を覚えたため、1962年に作詞、作曲活動から引退した。 引退後もアメリカを代表する音楽家の一人として高い評価を受け、1968年にはグラミー賞の生涯功労賞を受賞した。また、「エド・サリヴァン・ショー」などのテレビ番組にも出演し、自らの曲を歌っている。 1989年に「100歳を超える高齢で死去」したが、死後にはその栄誉を称えて記念切手が発行された。生涯に作詞した楽曲の数は3,000以上に上る他、17の映画音楽と21のブロードウェイミュージカルを手がけている。 なおバーリンは、正式な音楽教育はおろか、普通科の学歴も乏しい生い立ちであったため、「楽譜の読み書きができなかった」。名声を得てからも楽譜を書くことが出来ず、着想したメロディを上手くないピアノで奏で、専属の採譜者に記録させていた。教養の乏しさから、書く歌詞の作風もインテリ趣味の技巧とは遠く、概して単純率直で素朴であったが、それゆえに誰にもわかりやすく親しみやすい内容のものが多かったため、大衆からは好まれた。 バーリンの性格は強度の「お天気屋」で、自らの作品に強い誇りを持つ一方、周囲から称賛を受けている状態でないとすぐに自信喪失してしまうところがあった。例えば1930年に発表され、後世まで歌い継がれているバラード『愛は海より深く』(How Deep Is the Ocean?)は、その数年前に完成していたにも関わらず、作曲当時スランプ状態だったために発表する自信がなく、周囲の勧めで公表するまで時間がかかっている。
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