アメリカを代表する2歳戦として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:05 UTC 版)
「フューチュリティステークス (アメリカ合衆国)」の記事における「アメリカを代表する2歳戦として」の解説
賞金面では創設時より、2歳戦どころか「アメリカの代表的な競走」の一つだった。 2歳戦としては、創設の1888年から1899年までのあいだの12頭の優勝馬のうち8頭がその年のアメリカ2歳チャンピオンに選出されている。20世紀初頭はニューヨークでの競馬禁止、それに伴う賞金の低下によって価値を下げ、1901年から1920年までの20年間の勝馬からは5頭しか2歳チャンピオンに選ばれなかった。ただし、その中にはコリン、マンノウォーといったアメリカの歴史的名馬が含まれている。 その後、1920年代から1950年代半ばまでは、本競走の優勝馬がことごとく2歳チャンピオンに選出された。1923年のセントジェイムズ(St.James)から1954年のナシュア(Nashua)まで、32年間で21頭の優勝馬が2歳チャンピオンとなっている。この時代はアメリカの競馬の復興期で、2歳馬の価格もどんどん値上りした。第2次世界大戦でヨーロッパ競馬が荒廃したため、アメリカ競馬は一人勝ちの状態になり、戦後も10年間、名馬が次々と登場した。この時期の優勝馬には、三冠馬サイテーション、ブルーピーター(Blue Peter)、トムフール(Tom Fool)、ネイティヴダンサー(Native Dancer)などがいる。 1957年からは出生前の登録を出走要件としなくなったが、この頃からフューチュリティステークスよりも遅く行われるシャンペンステークスのほうが2歳チャンピオン選出に大きな役割を果たすようになった。1955年以降、ブリーダーズカップジュヴェナイル創設前年の1983年までの間で、フューチュリティステークスの優勝馬が2歳チャンピオンになったのは6頭しかいないが、1ヶ月後に同じ舞台で行われるシャンペンステークスからは16頭のチャンピオンが出ている。(このうちネヴァーベンド(Never Bend)、ボールドラッドUSA(Bold Lad)、トップナイト(Top Knight)の3頭は両競走を勝っている。) とはいえ、アメリカの2歳戦としては最も重要な競走として認知されており、アメリカでグレード制が始まった1973年から最高格のG1に格付けされてきた。
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