アメリカへ一時帰国、外交官として再来日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 02:33 UTC 版)
「エドウィン・ダン」の記事における「アメリカへ一時帰国、外交官として再来日」の解説
1882年に開拓使が廃止されたことに伴い、エドウィンは新たに農商務省と雇用契約を結ぶが同年12月に東京へ移動し、翌1883年2月に雇用契約を終了させた。1883年、アメリカへ帰国。アメリカ政府によって北海道における業績を評価され、1884年、アメリカ公使館二等書記官として来日。1889年に参事官、1890年に代理公使、1893年に公使に昇進した。1894年に日清戦争が勃発した際には和平交渉実現のために奔走したといわれる。公使辞任後は、アメリカのスタンダード石油会社が日本に設立したインターナショナル石油会社(本店:横浜市)の直江津支店支配人を務め、さらにその後は、三菱造船東京本社に勤務した。1931年5月15日、東京の自宅で死去。 現在、エドウィンの功績はエドウィン・ダン記念公園(旧真駒内中央公園、真駒内種畜産場跡)内のエドウィン・ダン記念館においてみることができる。
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