シリーズの拡大と新たな選手の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:51 UTC 版)
「全日本プロドリフト選手権」の記事における「シリーズの拡大と新たな選手の台頭」の解説
シリーズ設立当初はエビスや日光サーキット、備北ハイランドサーキット、セキアサーキットなどの比較的小規模なサーキットで開催されていたが、2002年初開催の筑波サーキットを皮切りに、富士スピードウェイ(2003年から)、オートポリス(2004年から)、鈴鹿サーキット(2006年から)、岡山国際サーキット(2008年から)などの大規模なサーキットでの開催も増加した。また、2003年からはアメリカへ進出し、カリフォルニア州のアーウィンデールスピードウェイで大会を開催(2006年まで)。日本発祥のドリフト競技が世界中に伝播するきっかけとなり、各国でドリフト競技の大会(アメリカのフォーミュラ・ドリフトなど)が開催されるようになった。さらに2004年には市街地特設コースのお台場ラウンドが初開催。2006年にはD1グランプリの下位カテゴリーとしてD1ストリートリーガル(現・D1ライツ)がスタートするなど、国内外でシリーズの拡大が続いた。 また、2001年までは選手は皆プライベーターであり、ほとんどの選手がナンバープレート付きのマイカーを持ち込んで出走していた。しかし、翌2002年以降はチューニングパーツメーカー(ブリッツ・HKS・トラストなど)によるワークス体制での参戦やチューニングショップ(トップシークレット・RE雨宮など)による参戦が本格的に始まり、それに合わせマシンも競技専用車両へと先鋭化していった。 選手も、シリーズ初期は野村謙や谷口信輝、植尾勝浩、今村陽一など、いか天などのドリコンで活躍した選手が中心であったが、2000年代中盤になると川畑真人や斎藤太吾など、キャリアの初期からD1GPを中心として戦ってきた選手が頭角を現し、2000年代後半には横井昌志や松井有紀夫、末永直登など、D1ストリートリーガルからステップアップしてきた選手も現れた。
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