アメリカの拡張主義の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/25 23:31 UTC 版)
「米英戦争の原因」の記事における「アメリカの拡張主義の問題」の解説
戦争の一つの原因がアメリカの拡張主義、つまりはカナダの土地を欲しがったことだという考え方は1940年以前の歴史家の間で大いに議論されたが、現在ではそのことを挙げる専門家がほとんどいない。 あるカナダの歴史家は20世紀初めにその考え方を提唱し、今はカナダの神話の中で生き残っている。 マディソン大統領とその助言者は、カナダの征服が容易であり、経済的な圧迫によってイギリスは西インド諸島植民地に対する食糧供給を制限せざるを得なくなると信じていた。さらにカナダを領有することは価値ある切り札であった。辺境の開拓者は、土地が欲しかったからではなく(事実土地は豊富にあった)、イギリスがインディアンを武装させ、それで西部への移住を堰き止めると考えたのでカナダの征服を求めた。 ホースマンは、「カナダを征服するという概念は少なくとも1807年以降、イギリスに海上での政策を変えさせる手段として生まれていた。カナダ征服は戦争遂行の主要な手段であり、開戦の理由ではない」と結論づけた。 ヒックリーは平たく「カナダを属国にする望みは戦争をもたらさなかった。」と述べている。 ブラウンは「カナダ遠征の目的は交渉のネタにするためであって、属国にすることではない」と言い切った。 指導的カナダの学者バートは、これに完全に同意し、ワシントンD.C.に送られたイギリス大使フォスターもカナダを属国にすることが戦争の目的であるという議論を拒絶したと注釈している。 多くのアメリカからの逃亡者と移民がアッパーカナダ(オンタリオ州)に定住していた。王党派の住人は合衆国に併合されることを嫌い、他の入植者は無関心であるように見えた。カナダの植民地は人口が少なくイギリス軍の防御も甘かったので、アッパーカナダの多くの者が立ち上がり、アメリカの侵略軍を解放者として歓迎すると考えるアメリカ人もいた。前大統領のトマス・ジェファーソンが1812年に、「今年はカナダを取ってケベックの近くまでは単に行軍するだけのことで、ハリファックス攻撃の経験を与えてくれるだろう。次はそして最後はアメリカ大陸からイギリスを追い出すだけだ」と示唆したように、状況は容易な征服を思わせるものだった。
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