アポロ応用計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/07 08:24 UTC 版)
詳細は「アポロ応用計画(英語版)」を参照 NASA上層部は仮に月面着陸が計画どおり1969年に達成されたら、その後アポロ計画に関わった40万人の労働者が失われる事態になり得ることを懸念していた:20,22。1960年代を通してNASAのマーシャル宇宙飛行センターの長官だったフォン・ブラウンは、彼の大型宇宙ステーション案が却下された後、より小さなステーションを建設することを主張した。その理由は、サターンロケットの開発がアポロ計画の中では比較的早く完了してしまうことになるため、開発に携わった関係者らにロケット開発の先に労働の機会を与えることをブラウンが望んだためであった:61。NASAは「アポロ補給システム研究室」を立ち上げた。同研究室の当初の目的は、アポロの機器を科学的な計画のために改良するさまざまな方法を研究することであり、2機のサターン5型ロケットの発射が必要とされる月面延長滞在計画、月着陸船を基礎にした「月面トラック」、着陸船を乗員室として使用する大型の有人太陽望遠鏡、着陸船や司令・機械船を基礎にさまざまな機器を使用した小型の宇宙ステーションなどの、科学的研究に直結するいくつかの計画が提案された。当初これらの研究は宇宙ステーションには特に注目してはいなかったが、1965年8月に研究室は「アポロ応用計画」と名称が改められ、次の2年間でこの役割にますます専念することになった:20。 1964年8月、ジョンソン宇宙センターはその全般的な業務の一部として、「アポロ拡張計画」(略称『アポロX』) として知られる使い捨て式の実験室の案を提示した。「アポロX」では、S-IVBの上に搭載される着陸船が、アポロ宇宙船の機械船の部分よりもわずかに大きい小型の宇宙ステーションに置きかえられることになっていた。またその内部には、15日から45日間の飛行で必要とされる消耗品や実験機器が搭載された。この研究を基礎として、次の6ヶ月間にいくつかの異なる飛行の概要が検討された。
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