安部憲幸
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安部 憲幸(あべ のりゆき、1945年〈昭和20年〉5月8日[1] - 2017年〈平成29年〉4月6日)は、フリーアナウンサー。元朝日放送[注 1](ABC)アナウンサー。
注釈
- ^ 在籍当時は、認定放送持株会社移行前の旧・朝日放送株式会社。
- ^ この当時、各放送局の若手アナウンサーがプロ野球の実況のマイクロフォンに立つことはない時代であった。
- ^ この結果、当日に試合が組まれていなかった西武ライオンズの優勝が決定。
- ^ 『ニュースステーション』では9回表の終了後に提供クレジットとスポンサーのCMを挿入していたが、その前にメインキャスターの久米宏が、「This is ニュースステーションでございます。『ニュースステーション』ではこのまま9回裏まで(ロッテ対近鉄戦の中継を)お送り致します。そして、延長戦の場合には13回まで行きます(当時のパ・リーグ規則では延長は12回まで、または4時間を経過した場合には新しいイニングに入らないとされていた。CM明けに久米が延長は12回までと訂正をしていた)」という表現で視聴者に断りを入れていた(実際には延長10回の末に4 - 4のスコアで時間切れの引き分け)。
- ^ 翌1995年2月に発売された『実況パワフルプロ野球2』で当時の同僚アナウンサー・太田元治が実況を務めるなど、シリーズ作品の一部では別の人物が実況を担当。
- ^ 当時は近鉄のレギュラー三塁手であったが、3試合前にスライディングで骨折したため出場選手登録を抹消。NPBでは抹消期間中に催される一軍公式戦へのベンチ入りを認めていないため、第1試合を三塁側の記者席で観戦したが、近鉄首脳陣の計らいで、第2試合では近鉄(三塁)側のダッグアウトに入っていた。
- ^ 安部と同じく朝日放送のスポーツアナウンサーだった平岩康佑が、後継会社の1つである朝日放送テレビからの退職(2018年6月)を機に、「eスポーツキャスター」としてテレビCMに出演。
- ^ ただし、一部の選手名のコールを割愛。
出典
- ^ a b c 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、251頁。
- ^ “元朝日放送アナ・安部憲幸さん死去 パ・リーグ伝説の“10・19”実況”. SANSPO.COM(サンスポ) (2017年4月11日). 2019年12月10日閲覧。
- ^ a b c 『実況パワフルプロ野球'94攻略ガイドブック』(1994年、小学館発行。書籍コード:ISBN 4091024726)掲載のインタビュー記事。
- ^ ABCでは、バファローズの親会社であった近畿日本鉄道が、安部の入社前から大株主に名を連ねている。
- ^ 阪神戦についてもテレビ・ラジオともに対巨人戦を中心とした全国中継を含めて相当数担当した。
- ^ ベースボールマガジン社「さらば大阪近鉄バファローズ」より
- ^ 『ABCラジオ本』(2023年、三才ブックス)第1章「パーソナリティかく語りき 三代澤康司」p.50を参照。三代澤はABCにおける安部の後輩アナウンサー(同書の刊行時点ではフリーアナウンサー)で、旧法人時代の1984年に入社したものの、安部と同様に『ABCヤングリクエスト』(1986年9月終了)のパーソナリティへ起用されなかった。
- ^ a b “元ABCアナ安部憲幸さん死去 伝説の「10.19」や「パワプロ」実況”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2017年4月10日) 2017年4月10日閲覧。
- ^ 2019年日本民間放送連盟賞 ラジオ報道部門
- ^ 第56回(2018年度)ギャラクシー賞受賞作
- 1 安部憲幸とは
- 2 安部憲幸の概要
- 3 主な出演ゲームソフト
固有名詞の分類
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