アフリカ系アメリカ人のモダンダンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 21:13 UTC 版)
「モダンダンス」の記事における「アフリカ系アメリカ人のモダンダンス」の解説
モダンダンスの発展過程ではアフリカ系アメリカ人の活躍もある。「純粋な」モダンダンス作品を作る傾向と、アフリカンのダンス(英語版)やカリブのダンスとモダンダンスを混合させる傾向とがある。 キャサリン・ダナムは、アフリカ系アメリカ人のダンサー、人類学者。もとはバレエを踊っていたが、1936年に最初の舞踊団バレエ・ネーグルを設立。その後、イリノイ州シカゴに拠点を置くキャサリン・ダナム舞踊団を設立した。1945年、ダナムはニューヨークに学校を開き、アフリカとカリブ海の動き(柔軟な胴体と脊椎、よく動く骨盤、四肢のアイソレーション、ポリリズミカルな動き)とバレエやモダンダンスのテクニックを融合させたキャサリン・ダナム・テクニックを教えた。 パール・プリムス(英語版)はダンサー、振付家、人類学者であり、アフリカやカリブ海の踊りを用いて、大きく宙を舞う力強く劇的な作品を作った。作品では人種問題やアフリカ系アメリカ人の問題を扱う黒人作家の著作をしばしば取り上げている。ラングストン・ヒューズの 『黒人は川を語る(英語版)』(1944年)や、ルイスアラン(英語版)』の『奇妙な果実』(1945年)などである。彼女の舞踊団はパール・プリマス舞踊言語研究所へと発展し、アフリカ系アメリカ人、カリブ海、アフリカの影響をモダンダンスやバレエのテクニックと融合させる手法を教えている。 アルヴィン・エイリー(英語版)はまずレスター・ホートン(英語版)、ベラ・ルウィツキー、次いでマーサ・グレアムに師事し、劇場舞踊の分野で数年にわたり活動した。1958年、エイリーと若いアフリカ系アメリカ人ダンサーのグループはニューヨークでアルヴィン・エイリー・アメリカン・ダンス・シアター(英語版)として旗揚げ公演を行う。エイリーの発想の源は、テキサス時代の自らの「血の記憶」、ブルース、黒人霊歌、ゴスペルなどであった。最も人気があり、批評家からも評価されている代表作が Revelations (1960年)である。
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