アナトリア象形文字
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子音のみを表すエジプトのヒエログリフと異なり、アナトリア象形文字の表音要素は音節文字であるが、やはり絵によって描かれる物の最初の1音節を表している場合が多く見られる。
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アナトリア象形文字
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「アーチボルド・セイス」の記事における「アナトリア象形文字」の解説
セイスはシリアのハマトの碑文、ボアズキョイのヤズルカヤ(ヤジリカヤ)碑文、スミルナの碑文などがすべて同じ文字で書いてあることを認め、これが『旧約聖書』にいうヒッタイトの文字であることをはじめて指摘し、また接尾辞や限定符を指摘した(なお、現在ではこの文字はヒッタイト語に近いが同じではないルヴィ語を表していると考えられている)。 ウィリアム・ライト(ハマトの碑文を入手した宣教師)の著書『ヒッタイト帝国』(1884年)の中で、セイスはヒッタイトがアナトリアからシリアに来たことを指摘し、象形文字の中にある主格と対格の接尾辞や、新たな限定符の発見を加えた。 Wright, William (1886) [1884]. The Empire of the Hittites, with Decipherment of Hittite Inscriptions by Prof. A. H. Sayce, LL.D (2nd ed.). London: James Nisbet & co. https://archive.org/details/empireofhittites00wrig 1887年にはエジプトのアマルナから大量の粘土板が発見されたことをセイスは報告した。この報告をもとにフリンダーズ・ピートリーによるアマルナ発掘が行われ、アッカド語で記されたヒッタイト王からの書簡や、未知の言語(ヒッタイト語)で記された粘土板が発見された。ところが、同じ言語で書かれた粘土板がボアズキョイでも発見されたため、セイスはボアズキョイ発掘計画を立てたが、計画はドイツに横取りされてしまった。 セイス自身はアナトリア象形文字を解読するための十分な資料を入手できなかった。解読は1928年以降、イタリア・ドイツ・アメリカの学者によって徐々に進められ、1939年には大部分の音節文字が解読された。
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アナトリア象形文字
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ヤズルカヤはまた、アナトリア象形文字の初期の解読において重要な役割を果たした。1834年にフランスの旅行家シャルル・テクシエ(英語版)がヤズルカヤを訪れて『小アジア旅行記』(全3巻、1839-1848)において挿絵入りで紹介し、ヨーロッパにヤズルカヤが知られるようになった。アーチボルド・セイスは神々の行列の刻文がしばしば特定の文字からはじまっていることに注目し、これが神を意味する限定符であることを指摘した。 アナトリア象形文字は原則としてルウィ語を書くのに用いられるが、ヤズルカヤの刻文ではフルリ語の神々の名を表記している点で例外的である。
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