アダムズの任期 1797年-1801年
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「アメリカ合衆国の歴史 (1789-1849)」の記事における「アダムズの任期 1797年-1801年」の解説
詳細は「ジョン・アダムズ」および「1796年大統領選挙」を参照 ワシントンは、国の元首として8年間以上仕えることを堅く辞退し、1797年に辞任した。副大統領だったジョン・アダムズが新たに大統領に選ばれた。アダムズは就任前からハミルトンと喧嘩しており、袂を分かった連邦党という重荷を背負うことになった。 国内政局の難しさに加えて、国際関係も複雑になった。ジョン・ジェイがこの頃イギリスと結んだ条約がフランスを怒らせ、フランスは、敵の港に向けた食料や陸海軍用品は押収の対象となるというイギリスの論法を用いた。1797年までにフランスは300隻のアメリカ船を押収し、合衆国との外交関係を打ち壊した。アダムズが交渉のために3名の代表をパリに送ると、外務大臣シャルル・モーリス・ド・タレイラン(アダムズは議会に対する報告でタレイランを"X, Y and Z"と名付けた)の代理人は、合衆国がフランスに1千2百万ドルを貸し付け、フランス政府の役人に賄賂を送れば、交渉に応じると伝えた。フランスに対するアメリカの敵意が跳ね上がった。いわゆるXYZ事件は軍隊の徴兵と巣立ちしたばかりのアメリカ海軍の強化につながった。 1799年、擬似戦争として知られるフランスとの一連の海戦の後、戦争は避けられないように思われた。この危機にあって、アダムズは戦争に向かおうというハミルトンの忠告を無視し、新たに3人の代表をフランスに送った。新たに権力を得たばかりのナポレオンは代表団を丁重に迎え、交渉によって紛争の危険性は回避された。公式には1778年のフランスとの軍事同盟から解放されることにもなった。しかし、フランスはアメリカの弱みに付け込んで、海軍が捕獲したアメリカ船に対する代償2千万ドルの支払を拒否した。 フランスに対する敵意と、国内では連邦党が多数を占める議会に対処するため、アダムズはアメリカ市民の自由にも大きく影響する外国人・治安諸法に署名した。市民権取得のために必要な居住期間を5年から14年に引き上げたが、これは民主共和党の支持者にはなりそうにないアイルランドとフランスの移民を目標にした策だった。外国人法はほんの2年間有効であったに過ぎないが、大統領に戦時に外人を排除または投獄する権限を与えた。治安法では、大統領あるいは議会に対して「偽りの、中傷的なおよび悪意のある」書き物、演説あるいは出版を禁じた。治安法に基づく有罪判決で市民の自由に対して犠牲者が出ることになり、民主共和党に対する支持率が上がった。 これらの法は抵抗された。ジェファーソンとジェームズ・マディソンは1798年11月12日に、ケンタッキー州とバージニア州の議員から提案された決議案の通過を助けた。これは州が連邦政府の行動に異議を差し挟み、これを無効化できるというものだった。無効化の原理は後に、関税や奴隷制度の問題で北部に対抗して南部諸州がその利益を守るために使われることになった。
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