アダムズ大統領退任後
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「ルイーザ・アダムズ」の記事における「アダムズ大統領退任後」の解説
ホワイトハウスを去ってからまもなく、1829年4月に夫妻は長男ジョージが船外に落ちて死亡するという悲劇に見舞われたが、その5年後の1834年には次男のジョンも急性アルコール中毒で死亡してしまった。ルイーザにとってせめてもの慰めはこの2人の息子の死後に夫婦の仲が修復されたことだった。 アダムズ大統領が退任した時にルイーザはマサチューセッツ州の自宅に永久に落ち着けると考えていた。ところが、1831年にはアダムズは以後17年に及ぶ重要な下院議員生活を開始した。二人はこの期間に奴隷制の反対で協力するようになり、女性の権利の向上にも共鳴するようになった。このアダムズの進歩的な考え方は彼の母親のアビゲイル譲りのものであった。当初は公職に復帰するアダムズの決断に憤慨していたルイーザも勇気ある夫に対して次第に敬意を払うようになっていった。 1848年2月21日にアダムズは脳卒中に見舞われ、国会議事堂内の床に倒れた。その2日後の2月23日に死亡した。彼が息を引き取った下院議長室は女人禁制だと言われ、ルイーザは入室を許されなかった。 ルイーザは夫の死から4年後の1852年5月15日にワシントンD.C.で亡くなった。77歳没。上下両院は喪に服すために議会の開催を延期した。夫の海外勤務には全て同行し、外交的な経験は歴代随一のファーストレディであった。夫婦揃ってマサチューセッツ州クインシーのユナイテッド・ファースト教区教会の夫の両親の傍らに埋葬された。 夫はダゲレオタイプの写真を数枚残しているが、夫より4年遅く亡くなったルイーザは写真を一枚も残さなかった。
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