アタリ退社後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 15:07 UTC 版)
「ノーラン・ブッシュネル」の記事における「アタリ退社後」の解説
ワーナーとの契約時、「退社後5年間はアタリと競合する業務をしてはいけない」と言う条件があった為、5年間はゲーム以外の仕事を行なっていた。5年経った1983年からはアーケードゲームにも復帰し、主な事業は以下の通り。 ピザタイムシアター PTT(1977年開店、解任後すぐ店舗拡張開始) ピザ屋とゲームセンターの融合店。アタリ退社後に一番成功した事業はこれで、再度注目の人となった。後に経営悪化、キーナンにトップの座を任せたが、競合他社に吸収合併された。 アクスロン(1980年) コンピューター周辺機器メーカー。 センテ・アーケード・コンピューターシステム SAC(1983年) 老舗アーケードメーカー、バリー社の協力を得た、アーケードゲーム用基板のレンタル業。この社名も囲碁用語(先手)で、アタリ創業時の社名候補だった。だがレンタルというシステムが市場に受け入れられず、カートリッジ式基板も既にデータイーストのデコ・カセットシステムが先を行っており、ヒットしたゲームは『ハットトリック』だけだった。 カタリスト・テクノロジーズ(1981年) ベンチャー企業の共同体で、新技術・新製品の援助を運営者と参加者同士で行なう。ちなみに「コンピュータースペース」開発時にとばっちりを受けた長女アリサも、父の血を受け継ぎベンチャー企業を経営、父と長女で同じビルに事務所を構えた事もある。 ユーウィンク(2000年) タッチパネルとインターネット端末を使ったゲームシステム。 (名称不明) 映画の様に複雑化したゲーム界を見直し、誰でも遊べる簡単なゲームを併設した飲食店。 だがこれらも、最後まで成功せず挫折する事業が多く、1985年には破産した。現在は各種団体のメンバーや講演会などを仕事とする、「忙しい失業者」である。自家用ジェット機を2機も持ち、下院議員に立候補の話も出た事がある。 2005年にはアメリカの大型レジャー施設「メトレオン」に、「ゲームの歩みを記した人物」(Walk of Game)として、ブッシュネルと宮本茂の名が、星印の中に刻まれた。 2008年、パラマウント映画が、レオナルド・ディカプリオ主演でブッシュネルの半生を描いた映画『Atari』を製作発表。プロデューサーもレオナルド・ディカプリオが務めた。
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