アウラングゼーブ及びミール・ジュムラーとの戦いとは? わかりやすく解説

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アウラングゼーブ及びミール・ジュムラーとの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 06:08 UTC 版)

シャー・シュジャー (ムガル皇子)」の記事における「アウラングゼーブ及びミール・ジュムラーとの戦い」の解説

その後シャー・シュジャーアウラングゼーブダーラー・シコー追撃戦向かったことを知ってベンガルからアーグラへと向けて進軍した11月ダーラー・シコー追討中だったアウラングゼーブがその知らせ聞き彼もまたアーグラへと向かって進軍した。 そして、1659年1月5日シャー・シュジャーアラーハーバード付近のカジュハでアウラングゼーブとの戦い臨んだ(カジュハの戦い)。戦闘最初の方はシャー・シュジャー優勢で、またアウラングゼーブ後陣ジャスワント・シング襲撃するなどしたためアウラングゼーブの軍は混乱した。 しかし、アウラングゼーブの有力武ミール・ジュムラーが何とかアウラングゼーブ冷静さ取り戻させたこと、そしてアウラングゼーブ強運さによって、シャー・シュジャー戦い敗れてしまった。アウラングゼーブ使った方法ダーラー・シコー敗北導いた方法で、内通していた家臣シャー・シュジャーに象から降りるように進言し、シャー・シュジャー不運にもそれに従ってしまった。 その後アウラングゼーブ深追いせずアーグラへと引き上げため、シャー・シュジャーはあまり多くの兵を失わずアラーハーバード後退して陣を構えた。これを知ったアウラングゼーブ長男スルターン武将ミール・ジュムラー派遣したシャー・シュジャーベンガル地方ラージャ苛めていたので、これに乗じて反乱を起こすではないか、そしてミール・ジュムラー敵に回すことを恐れていた。そのため、彼はアラーハーバードの陣を引き払いヴァーラーナシーパトナ行きモンギールへと向かい、そこで踏みとどまってミール・ジュムラー軍勢と戦う覚悟決め陣地築き町と川と山まで通じ塹壕掘った。 だが、ミール・ジュムラーガンジス川沿いにゆっくり下ってくるのは陽動作戦で、ミール・ジュムラースルターンとともにガンジス右岸山地ラージャ抱き込んで強行軍シャー・シュジャー行く手をふさぐためラージマハル接近しつつある、という情報届いた。そのため、彼はモンギール捨てラージマハルへと向かい、そこに陣を構えた ミール・ジュムラー到着後、ラージマハル攻撃をかけ、シャー・シュジャー5、6日のあいだ防戦した。だが、ミール・ジュムラー大砲絶え間なく活躍し雨期始まりもあって、夜陰乗じてラージマハルから逃げたミール・ジュムラー伏兵警戒し追撃行わず翌朝延ばしたため、その夜明け前に降り出して三日続いたので、ミール・ジュムラー動けず、そこで冬越しすることとなった一方シャー・シュジャー軍隊強化したり、あるいは低ベンガル地方から大砲取り寄せたりたばかり、この地に住んでいたポルトガル人味方に付けることに成功したまた、ミール・ジュムラー不仲になった皇子スルターン味方駆け付けシャー・シュジャー忠誠誓ったシャー・シュジャースルターン自分の娘グルルフ・バーヌー・ベーグムを嫁がせたが、アウラングゼーブミール・ジュムラーによる自分捕えるための策謀ではないのかと疑い全幅の信頼置けず、スルターンはやがて離れてしまった。 その後ミール・ジュムラーのもとにおびただしい数の大軍送られ、軍を整えていたシャー・シュジャー劣勢となり、やがてガンジス川の川の両岸及び河口付近の島であるタンダーに包囲された。

※この「アウラングゼーブ及びミール・ジュムラーとの戦い」の解説は、「シャー・シュジャー (ムガル皇子)」の解説の一部です。
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