アウシュヴィッツ第三強制収容所モノヴィッツ
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航空写真 1942年から1944年の間に、当時のドイツを代表する イーゲー・ファルベン社(化学)、クルップ社(重工業)、シーメンス社(重電産業)といった大企業の製造プラントや、近隣の炭鉱に付随する形で大小合わせて40ほどの収容施設がモノビツェ村(ドイツ語名モノヴィッツ)に作られた。これらの施設群を「第三収容所モノヴィッツ」と呼ぶ。オシフィエンチム市は鉄道の接続が良く、近郊は石炭と石灰の産出地。さらには内陸に位置することもあり、既存の生産拠点への空襲が危惧されるようになると、安い労働力と併せて注目されるようになった。 なかでも最大規模であったのが、700万ライヒマルクを投資して建てられたイーゲー・ファルベン社の合成ゴム・合成石油プラント「ブナ」。同社は、1925年にドイツの化学関連企業6社が合体してできたコンツェルンであり、当時の総合化学業界としては世界を三分するうちの1社であった。また、1936年4月、ナチス率いるドイツ政府によって示された国家の重要な指針をとなる「四ヵ年計画」の遂行にあたって、産業面で大きな役割を果たすなどドイツ政府とは緊密に連携し合う関係にあった。戦後のニュルンベルク裁判では「人道に対する罪」を理由に役員や技術者など被告の24人全員が有罪となり、次いで1948年の「米英占領地区の合同管理理事会」でコンツェルンの解体が決定する。各プラントは連合国軍の爆撃目標とされ、さらには1945年1月の解放の後、ソ連軍によって破壊されたため現在は残っていない。
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