アウシュヴィッツの死亡者数についての諸説とその推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 02:49 UTC 版)
「ホロコースト」の記事における「アウシュヴィッツの死亡者数についての諸説とその推移」の解説
収容所のなかで最大規模であったアウシュヴィッツ収容所を解放したソ連は、しばらくの間、連合諸国によるアウシュヴィッツの調査を許可しなかった。そのために、死亡者数については色々な説がある。ニュルンベルク裁判ではソ連検察が「アウシュヴィッツで400万人が死亡した」と主張し、ニュルンベルク裁判においてソ連・ポーランド調査委員会はアウシュヴィッツで400万が死亡したと告発し、イギリス軍の裁判でも450万人が死亡したと告発されたが、収容所長ヘスの裁判の際には最大でも150万人を超えないと認定された。 1990年までアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所跡の記念碑には400万と書かれていた。ソビエト連邦の崩壊後の1995年には完全にソ連側の主張が否定され、現在のアウシュビッツ収容所記念館および公式ページでは、1999年までの研究により1944年までに強制収容されたユダヤ人は総数で110万人であり、そのうち20万人は労働に供されたと書かれている。 またラウル・ヒルバーグは、アウシュヴィッツで死亡した収容者は「125万人」と推計。ユネスコは犠牲者「120万人」としている。
※この「アウシュヴィッツの死亡者数についての諸説とその推移」の解説は、「ホロコースト」の解説の一部です。
「アウシュヴィッツの死亡者数についての諸説とその推移」を含む「ホロコースト」の記事については、「ホロコースト」の概要を参照ください。
- アウシュヴィッツの死亡者数についての諸説とその推移のページへのリンク