アイヌ観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 03:33 UTC 版)
1884年(明治17年)時点土人(アイヌ)は一見愚かで推理力に乏しく諸学術に暗いが、彼らの話を聞くと才知を包蔵している。愚かに見えるのは、教育が行き届いていないのと、度外視(無視)と圧制によるものであり、教育が普及すれば本邦人(和人)のように才学のある者となるだろう(『蝦夷今昔物語』第13項「土人ノ才能智識」。原文は文語調。一部省略) 晩年近代化によるアイヌ社会の変化は「時勢でしかたのないこと」で、「変わらなければ進むことができない」。和人との混血は「大昔にあったように混血になってついに完全の日本人となることが出来るのだと思い、むしろ喜ぶべきこと」(『我が記憶をたどりて』第20章6節「アイヌの状況が変わる」)「大昔にあったように」とあるのは、バチェラーはアイヌを日本列島全域の先住民族と見なし、本州から九州のアイヌは太古に大和民族と混血して同化したと考えていたため。 アイヌと和人との混血が急速に進んでいることや、アイヌの子供が和人と同様に教育を受け、法の下に日本人となっていることから、「一つの民族として、アイヌ民族は存在しなくなった」(『わが人生の軌跡』)
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